今日の記事は音楽活動についてではなく
障害児の母として
どうしても書かずにおられず
ありのまま 語ろうと思います。
相模原市の事件以来、
ずっと心を痛めています。
無抵抗で逃げることもままならない
助けを求めることもできない人たちを
躊躇なく次々襲った犯人に
強い憤りを感じ、身勝手な歪んだ持論で
罪もない人たちが何もわからないまま
命を絶たれたことに胸が詰まります。
犠牲になられた皆様のご冥福を
心より お祈りしています。
そして 怪我をされた皆様の一日も
早い回復を願っています。
私が出来る範囲で
出来ることを(音楽&講演活動)
一人でも多くの人に伝えていきたいという
強い気持ちに今まで以上になりました。
ご存知のとおり 私の長男は障がいを
もって生まれてきました。
もちろん 私自身も本人も
望んだことではありません。
しかも今回の犯人が忌み嫌う
重複障害で 最重度の判定を受けています。
22歳になる今でも 言葉もなく
残念ながらママと
呼ばれたこともありません。
自立からも程遠く
ほとんど介助がいります。
成長とともに 大変なことも
増えてきました。
自我が芽生えてきた上に
コミュニケーションが
ままならないからです。
家族だけで旅行や外出するのも
難しくなってきました。
問題行動と捉えられがちですが、
すべて彼の言葉です。
問題行動と言っても
物を投げる 人を掴む 引っ張る
壁をたたく その程度です。
冷静に考えてみれば 可愛いものです。
それは 頭ではわかっていますが
私自身に余裕がない時などは
「この子がいなかったら、
もしかして楽かも」とちらっと
思うことも 正直 時々ありますが
でも 犯人のように 「いなくなれ!」とか
「いない方がいい!」と本気で考えることは
一度もありません。
親子喧嘩して 怒りにまかせて
「家からでていけ!」というレベルです。
それよりも 彼の存在自体が
ほんとうに愛しいのです。
存在自体が 色々教えてくれます。
私自身も 今までたくさん
成長させてもらいました。
彼は人より たくさん 笑います。
毎日 幸せそうです。
そして その笑顔は
人の心を癒す力を持っています。
私の家族は 彼を中心にして
笑うこと多いです。語ること多いです。
彼がいない生活は もう考えられません。
修学旅行で一日いないだけで
寂しくて泣けました。
彼の存在は かなり 大きいです。
保育所時代 あるお母さんから
お礼を言われました。
自分の娘を優しい子供に
してくれてありがとうと。
ずっと 接してみるとわかります。
彼のよさが。
ある意味 中毒になります。笑
魂レベルで見ると 私なんて
足元にも及ばないほどの崇高な魂です。
そのせいか ピュアすぎる彼の存在は
周りのみんなを癒し つないでくれます。
学校時代 病気で娘さんを
亡くされた先生がいました。
それ以降 毎日彼に会いに来て
せつなく 抱きしめられていました。
なんとなく先生の気持ちがわかるような
気がします。彼にはそんな力があります。
私自身も人間の汚い部分を感じて辛い時
彼にどれだけ助けられてるか・・
確かに身辺のお世話は大変です。
自由時間も 限られます。
私も未だに それに縛られています。
でも 彼がいなくなればいい!なんて
思いません。社会に支えられながらですが
それらも すべて受け入れるくらいの
存在の大きさです。
彼が怒った時は髪の毛も引っ張られます。
本気で痛いです。でも気が済んだら
いつもの笑顔です。
またその笑顔に騙されます。
特に 病気の時は大変です。
何回も洗濯したり 徹夜で看病したり。
心身ともに くたびれます。
でも 病気が治れば
また笑顔に騙されます
夜中もトイレで何回も
起こされることもあります。
寝不足の時は 正直辛いです。
でも ちゃんと教えてくれてえらいね!と
いつも 褒めてあげます。
食事の時はほんとに美味しそうに
幸せそうな笑顔で
パクパク食べてくれます。
こちらも幸せな気持ちにしてくれます。
でも 時々 食卓をひっくり返します。
その度 叱ります。その繰り返しです。
さもすれば単調な日々になりがちの人生に
色々 落書きをしてくれるような彼。
でも 彼がいるからこそ
自分自身の存在が
必要とされてると 強く感じ
生きる気力も 湧いてきます。
この子を守ろうという気持ちが
私を強く生きさせてくれます。
行動させてくれます。
私にとっては かけがえのない命です。
子離れできないくらい 愛しています。
障がい者だから 家族や本人は不幸?
確かに告知された当初は辛くて
色々な葛藤がありました。
でも 育ててるうちに
彼が生まれる前より
幸せ感じています。
彼が 幸せのほんとうの意味を
教えてくれてるからです。
こうして 大好きな歌を歌うきっかけを
くれたのも 彼の存在が大きい。
時間の大切さも 教えてくれたので
充実した毎日を上手に
送るようになりました。
みんなが当たり前だと感じてることも
すべて 輝いて見れるようになりました。
綺麗事だと思われるかもしれませんが
すべて ほんとうの気持ちです。
でも 私がこう思えるのも
たくさんの周りの支援のおかげなのは確か。
社会や世間が
もっともっと理解を深めれば
偏見がなくなれば
障がいという言葉はなくなることでしょう。
今回の事件を受けて 障がいの人たちにも
少しでも思いを馳せていただけて
自分の気持ちを再確認していただけ
もっともっと 正しい理解が深まり
障がいのある人もない人も
それぞれが 個性を認め合える世界に少しでも
近づけることを願いたいです。。
生きようとしている命
今 ここに生きてる命。
ただそれだけで
この世には 必要な存在で
いらない命なんて
この世にないのです。
どんな生命も意味がある。
ひとりひとりの命が
たったひとつの大切な命。
自分の身勝手で
ましてや他人の身勝手で
奪ってはいけない。奪う権利もない。
そんなことを これからも歌で言葉で
一人でもたくさんの人に
伝えていきたいと思います。
それが私自身の使命だとも感じています。
これからも その伝える場所を
たくさん提供してください。
よろしくお願いします。
もっと書きたいこと 伝えたいこと
いっぱいありますが
この辺で終わります。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。