小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」 -16ページ目

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

先日、愛用のスマホの調子が悪くなり、


保険サービスを利用して同じ機種の新品に交換をした。


その時にメールや電話帳のアドレスや画像データを


新端末へコピーしなければならないのだが


写真を整理していると古い写真が残っていた。


由宇人が大学病院に入院していた時の写真だった。


このデータはまだガラケーの時に記録していたもので


デリートせずにずっと保存していたんだっけ。


4歳の時の写真だからまだ幼くて懐かしい。



あの頃は毎日生きている心地がしなかった。


明日病室に行った時、息子の笑顔に会えるのだろうか?


そんなことが脳裏によぎる毎日を過ごしていた。


子供が元気で幼稚園や小学校に通い、


お母さんがつくったハンバーグをもりもり食べ、


休日にお父さんとキャッチボールをしたり、


週末に家族でジャスコ(イオン)に行ったりすることが


一般的には普通なのかもしれない。


子供が毎日傍にいることが


あたりまえの日常なのかもしれない。


私たちは3年前、そうではありませんでした。


そしてその時、はじめて、同じ日本に、


こんなにたくさんもの


子供と共に闘病している親たちがいることを知りました。


親たちは365日ほとんど不眠不休で我子に寄り添っています。


どんなに難病でも、可能性が低くても


愛する息子、娘が元気になることを信じて。


親ならば、自分の命と引き換えにでもわが子を救いたいと思う。


もしもドラゴンボールが存在すれば命を懸けて探しにいくと思う。


病気の種類によって救命する手段は違います。



私たちはアメリカに行くことが息子の命が救われる手段でした。


手段が明確になれば、それに向かって突き進むだけでした。


もちろん、世間の皆様の力をお借りしてです。



「人助けに理由はいらねぇ。」


新潟のドリプラでのメンターカードというプレゼンターへ


プレゼンを聞いた感想とメッセージを伝えるカードを


数百枚いただきました。


ほとんどのカードに


「人助けに理由はいらねぇ。」という言葉に


感銘を受けました。


衝撃を受けました。


胸を打たれました。


脳天を殴られました。


感動しました。


etc・・・


というメッセージが書かれていました。


何が言いたいかというと、


その精神を基礎にして私は、


「生きることを諦めていない


子供の命を助けることに理由はいらない。」


という気持ちを持って活動を継続していきたい。


そう思っています。


だからたくさんの人に知ってもらいたい。


全国の心ある親のみなさんに共感と理解を


いただければスコップ団ハートの夢は実現すると思います。



まだまだ皆さんの力が必要です。


彼らの未来に立ちはだかる不安という泥をスクい、


道をつくってやろうぜ!


るいちゃんを救う会

http://www.rui-chan.net/


しゅんすけくんを救う会

http://www.save-shunshun.com/



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Lバド(補助人工心臓)を装着した直後ICUにて。


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目覚めた時、長期にわたる麻酔治療により

半分記憶がなかった。


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覚醒後、少しづつ記憶を取り戻してきた。


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渡航直前、大好きなみそラーメンを出前でとって

パパとママで食べたよね。


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日本代表のユニフォームはパパの同級生から

の陣中見舞いのプレゼントでした。


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最近の由宇人。

「さぁ、おまえの罪を数えろ」(仮面ライダーWより)


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えへっ、ボクちょっとふっくらしたよ。



いつも応援ありがとうございます!


由宇人はお陰様で元気で過ごさせていただいております。


早いもので新潟ドリプラから1週間が経過しました。


1日、1週間単位で時の流れの速さを感じます。


TIME IS MONEY


やれることをやれるうちにしておきたいと思います。


認知されて軌道に乗れば次世代の彼ら継承してくれると思うから。



新潟ドリプラでの募金額は約1時間程でしたが


214,860円の募金が集まりました。


御協力どうもありがとうございました。


お辞儀をしたカットにしようかと思いましたが


スコップ団ハートのモットーの一つである


どんな時でも明るく、おバカで、笑顔で行こう。


という精神と病に勝つ!という願掛けでVサインにしました。


私達が闘病生活を送っていた時も


明るくおバカで過ごしていた結果、本当の笑顔になることができました。


僕たちは常識も非常識も賛成も反対も共感も批判も


最後には笑顔になる。


そんなチームになれたらいいなと思っています。


生きたいと願う病と闘う子供達のために


100万人が100円づつ募金する習慣や文化が根付けば本望なんです。



ドリプラは私たちの活動を理解していただく上で素晴らしいステージ


であると思いました。感謝いたします。


日本全国どこにでも行きたいね。と了ちゃんと話してました。


スコップ団のお話とハートのお話がセットで


スコップ団ハートの活動は成り立ちます。


スコップ団ハートはスコップ団所属の一チームです。


了ちゃんがいるから僕がいる。


2人で1人、バロム1みたいな。そんなチームです。


共感と理解をいただける募金活動の場を増やしていきたい


と思っています。


よろしければ呼んでください。


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募金は先週、財団より「るいくんを救う会」へ

お振込をしていただきました。


るいくん、救う会の皆さん、ご家族のみなさん、


きっと大丈夫!

いつでも明日が来ると思っているけれども


もしかしたら今日が最後かもしれない。


心臓の病気と闘っている僕たちの子供たちの


未来の友達が本当の笑顔になれるように。


決して後悔はしないように。


スコップ団ハートは


知られちゃいけないわけではなく、


むしろみんなに知ってもらいたいのですが


「今日もどこかでデビルマン」精神でかましてきました。



読みあわせのリハは本番前の1回しかしなかった。


何度もしてしまうと事務的になってしまうから。


読み上げる声のトーンや速度だけをチェックして


他の出演者のプレゼンを出番のギリギリまで聴いた。


境遇、個性、挫折、出会い、挑戦、希望


まるで自分の人生の映画の制作過程を話すように


それぞれのプレゼンターは活き活きと輝いていた。


ここでも夢を語る人とそれを応援する人たちの


相互支援のカタチを見せられた。


本番15分前に


「ヨコシン、こういう本番前って緊張するの?


ハエハエ蚊蚊キンチョール。断然タゼン。」


了ちゃんが言った。


「ほどよく。なんとなくクリスタル。明日と言わず今日アスター。」


ダジャレCMの意味不明な会話がリラックスさせてくれた。



新潟ドリプラ開催の立役者の一人である事務局長の


池野さんが僕らをゲストに呼んだ経緯の紹介が出番の合図だった。


テーマタイトルが映し出された後、大袈裟な登場曲がかかる。


(行けっヨコシン!)


(おうよっ!画のタイミング頼んだよ!)


互いに目配せしてステージとソデの配置へ。


新潟の皆さんへ挨拶をして


大きく息を吸い込むと


彼が引いてくれたピアノ伴奏のカノンが流れ出し、


由宇人ただ一人に聞かせるように手紙を読んだ。


プレゼンの内容も写真も大きく変えなかった。


「オレ達はクールにぶれないで行こう。」


それが結成当初から2人で決めた約束だから。


手紙を読み上げるたびに


病気の発症から闘病生活、苦難のアクシデント、


奇跡、成功、地震、仲間、悲しみ、喜び、


そして未来の事が10分の間に一気に蘇り、予感する。


命とお金の問題だからとても厳かな気持ちになる。


読み終えた後に注がれる共感と批判の眼差し。


僕たちは覚悟して、割り切って行こうと決めている。


スコップ団のことを知らない人達もたくさんいた。


それが当たり前。


けれども、会場に来てくれた人たちの心に突き刺さった


あの言葉。


「人助けに理由はいらねぇ。」


話かけてくれた人達は口々に言った


あの言葉に感銘を受けた。


考えさせられた。共感したと。


つまり、プレゼンの内容を見て聴いて理解したから


るいくんを助けるために募金をするんだということ。


僕らの活動は点で終わらせたくない。


線で全国をつなぎたい。



プレゼンの終了後、ドリプラ創設者の福島先生と


㈱てっぺんの代表大嶋さん、


新潟出身の天才コピーライタ-ひすいこうたろうさんと


話をする機会があった。


必ずまた会うことができるだろう


そんな予感を抱いた。




懇親会に少しだけ参加することにした。


1時間ほど皆と談笑して


帰ることを伝えると事務長から一言を求められた。


僕はスコップ団ハートの活動を全国の皆さんに


知ってもらうように応援して欲しいと頼んだ。


マイクが了ちゃんに渡った。


「オレはヨコシンがやるって言ったから手伝っている。


だからみんなも応援する時に必ずいる


ごちゃごちゃ言うクソみてぇな奴らの事なんか気にするな。


そして今日は5分だけ話をさせてください。・・・・」


と切り出した。


会場が一瞬で彼の言葉に引き寄せられた。


それは震災直後に体験したある親子の究極の愛情のカタチ


の話とスコップ団の活動時の思い出したくない悲惨な話だった。


話を聞いているうちに当時の情景が蘇り泣けてしまった。


「・・・という話をしたかった。、生きてりゃどうにかなるドンと胸をはれよ!


 というわけで帰ります!さよ!おなら!」


エ---------っ良い話だったのに締めはいつもの感じかよ!


という感じで会場を後にした。


帰り際にひすいこうたろうさんが見送りに来てくれた。


「あなた方は一体何者ですか!


この2人なら何でも乗り越えていける気がします。


最強のチームですね。」


って言ってくれたことがとてもうれしかった。


ちゃんと募金もしてくれた。


ひすいさん、たたずまい通りめっちゃいい人。


どうもありがとうございます。



ドリプラで知った「夢しか叶わない」って言葉を


いつでも取り出せるようにしておこう。



スコップ団ハートはこれから縁起のよいチームに


なるように拡大していきます。


今後とも応援、よろスコップお願いいたします。


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ふふふ・・・待ち時間が長いのう・・。

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はじまった!


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展示ブースのタイトルポスターは当日の

朝に5分でつくって出力してきたんだよ。

キンコーズの店員さんがめっちゃかわいかった。


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スコップ団ハート団員ナンバー11くらいの和田さん。

なぎくんを救う会の広報さんです。

これからよろスコね。


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募金活動はなぎくんを救う会と夢のコラボレーション

なんかこういうのいいですね。

移植を成功した子供が移植を目指す友達を助ける。

これこそがスコハーが目指す愛の戦略です。

やってる途中で泣けてきた。(了ちゃんも)


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㈱てっぺん代表の大嶋さん

居酒屋甲子園とのコラボを是非!


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福島先生よりありがたい直筆のカードを

いただきました。


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るいくん、新潟のみなさんもとっても優しい人達

ばかりだったよ。募金集計の報告と振り込み

ちょっと待っててくださいね。

僕ら本業をしながら2人で手弁当で活動しているから

今週中にスケジュールを合わせて行動します。


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帰りはどうしてもへぎそばを食べて帰ろうということに。



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サービスカット「あまえるそぶりの団長・・・」


了ちゃん2日間ありがとね。


感謝いたします。

ハチマキとスコハーとで互支援していこう。


オレ、前座やります・・・。