ドリプラ東北魂2013に出場したことや、なぎくんを救う会にてリンクを貼って
いただいた影響やらでここ4~5日のアクセス数がハンパない状況です。
なぎくんや福島のあおいちゃんのためにも
回想記を書かなくちゃね。
2人が治療を受ける病院は
Morgan Stanley
Children’s Hospital of Newyork-Presbyterian
日本読みだとたぶんプレスビタリアンホスピタル。
えーとたしかアッパータウン方面で
地下鉄の駅で128丁目とかそのあたりだったと思います。
はじめて入院した時の感想はとにかく広くて、
大袈裟に言うと1丁目から5丁目までが全部病院というくらいでした。
小児病棟はその一角にあります。
JFK空港に到着後、そのまま救急車に乗り、約50分揺られると
病院へ着きます。
そのまま、9Fだったかな・・小児病棟のPICUに入院します。
日本の個室より広くて、大きな開放的な窓があり、ソファが備え付けてあり
両親はそこで寝泊まりします。
スライド式の入口は基本的にいつも開けっ放しなので
結構外廊下でのやりとりや、隣りの部屋の医療機器の
ブザーが聞こえたりしますがさほど気になりませんでした。
医療行為も徹底して専門分野に分かれており、
Aラインを取るだけの人、採血をするだけの人がいます。
これは日本と違ってすごくいいなと思いました。
なぜなら、子どもの血管はベリータイニー(か細い)で
なかなか一回で採血やラインがとれなくて、何度も注射針を
射さなければならないことがよくあるのですが、
こちらの専門スタッフはほぼ1回で成し遂げます。
思わずグレイト!と言ってしまいたくなります。
以外にもドクターという名札を付けている人の方が採血が
下手だったりしますので少し心配になります。
また、朝晩と夜番の交代で担当の看護師さんが
常についていますので安心です。
私たちの時はだいたい5人くらいで1週間をまわしていました。
そのうちに「今朝はナレーンさんか。」「夜はゲイブリルさんね。」
みたいな感じで慣れてきます。
言葉については最初はヒアリングができませんでしたが
段々と相手が何を言っているのかがなんとなくわかってきます。
毎日ではありませんが重要な場面には専属の通訳さんが
つきますので安心です。
また、何か困った場合は病室から電話通訳の無料サービスが
利用できるので看護師さんに「フォンプリーズ」と言えば
繋いでくれます。ただし、この電話無料サービスは
登録している契約通訳に無差別に繋がるため、
相手の腕によっては不発に終わる場合もありますので
注意してください。
(医療英語が不得意な通訳さんもいるということです。)
病院食は普通に大人が食べる以上の量が皿にもられてきます。
うちの場合は病人じゃない私が食べていました(笑)
よって、息子は近所のハンバーガーショップで
(ウェンディーズかマクドナルドかBBQがあります。)
よくキッズミールを買って食べていました。
それでは偏った食生活になってしまうので希望すれば
栄養を補助するドリンクも出してくれます。
病院内には日本と同じように売店も食堂もありますが
メニューがいつも同じなので
外に出て近くのスーパーで買った方がいいかもしれません。
また、洗濯機と乾燥機が(6Fだったかな?)にありますので
そこで洗えます。しかし、結構いつも混みあっていますので
時間は遅めの方がいいかもしれません。
シャワー室もあります。
朝の問診は8:00~10:00の間で毎日6~8名くらいのチームで
部屋に訪れます。
ここで、前もって言って置きますがアメリカの病院は
まず時間通りにいきません。
「あと10分で先生たちが来るわ。」
「OK、センキュー。」と会話してから
1時間後に来ることなんてざらです。
ご事情はいろいろとあるのでしょうが
緊急性があるなしにかかわらずゆったりとしています。
これには最初はイライラしてしまい、怒ったこともありました。
後に慣れましたが、何かアクシデントが会った時には
「もっと早くできないのかよ、頼むよ!」と病室と廊下を
うろうろした記憶があります。
しかしながら彼らは「プロ中のプロの集団」であることを
私達は肌で感じる経験をしましたので
絶大な信頼を寄せて問題ありません。
入院初日は次から次へと人が来てかなり疲れると思います。
誰が誰だか覚えられないので先生や看護師の
特徴などをメモしておくといいかもしれません。
ちなみに私たちが行った8月はPICUの中の冷房が効きすぎていて
長袖ジャンパーと毛布を掛けないと寒くて眠れないほどでした。
あおいちゃん、なぎくん、
渡航前の良いイメージづくりにお役立てください。
めっちゃくちゃいい奴。(年下だから奴呼ばわり)
この方が日本のご家族のサポート役となります。
移植後の診察をしてくれました。
うーん、2年以上も経つと記憶がぱっと出てこなくなってしまった
感がありますね。
これからは写真と過去に使っていたMAPなどを見て当時を
思い出しながら書いて行こうと思います。









