支援してくれたあにさんに御礼参りで会ってきた。
あにさんには由宇人にプレゼントを送ってくれたり個人的にも
世話になったし、普段の電話からもとても男気を感じていたので
いつか必ず会ってみたいと思っていた。
スコップ団の一時解散式に来てくれた方ならわかると思うけど
了ちゃんへ贈る言葉として最後に流したVTRのスペシャルサンクス的な
支援者でもあったからどうしても御礼が言いたかった。
最初はちょくちょく連絡を取っていたオレとカツヤの2人で行こうと計画を立てていた。
しかし、後で冷静に考えた時にスコップ団で得たつながりということは
スタンドプレイはまずいかなと思い一度了ちゃんに相談をした。
彼の答えは
「おう、いいよ。あにには世話になったしな。じゃあいつかみんなで行こう。」だった。
そう言って彼は一人旅に出た・・・・。
「えーーーーーっ、うっそ~ん、近日中に了ちゃんと行くってオレ約束しちゃったのに・・・」
というわけで副団長と創設者の我妻さんに事情を話し同行を快諾してもらった。
キャップとかナベケンもつれて元祖メンバー全員で行きたかったけど
完全にオレとカツヤの都合だし、大人数で行ってもご迷惑になるかなと思ったので
最小限のメンバーで行くことにした。
スコップバス出動ということでトシユキは半ば強制参加。
彼は本当に頼りになる。ありがとうトシユキ。
天候はあいにくというか最悪の土砂降り。
3時間と少しで新潟に無事到着。
あにと初対面。
電話のやさしげな印象とは裏腹に予想通り気合いが入りまくりの方だった。
でもその瞳はいつもの気遣い屋のあにを感じさせるやさしい目をしていた。
今までの御礼を述べ、やっと会えたなと照れくさそうに挨拶を交わした。
その後観光をはさみながら支援をしてくれたあにの仲間達への御礼参りに。


とんかつ政ちゃんで初めて食べたタレカツに全員舌ヅツミを打った。
我妻さんはタレ少なめの特注だった。



後輩の太郎さんのチョッパーマシンに一同度肝を抜かれ感動した。


昔のワル仲間の金子さんのガレージでは匠の技に酔いしれた。

護国神社ではワガツマンとタケチンが鳥居から本殿までの
約200m間になぜか敷かれていた赤毛せんの上を2人で歩き、
その後行われた結婚神前式の新郎新婦よりも先に歩いて
参列者からヒンシュクをかった。
あに御用達の近所の床屋のお母さんには
「みなさん本当にお疲れ様でした。わざわざ来ていただいてありがとうございます。」
と涙ながらに語られたくさんの枝豆をいただいた。
あにのご家族にも会うことができ、特にお母さんからは心温まるお手紙と
心づくしをいただいた。
子供たちに支援をしてくれたセブンイレブンの店長は素朴ですごく人のよい方だった。

花火募金に協力してくれたタイヤ天国の店長は笑顔で迎え入れてくれた。

お土産を買いに訪れたピア万代では柴崎コウおすすめのサラダホープを買った。
我妻さんは乾きものを3点購入し速効でバス車内を魚臭くしてくれた。

支援協力をしていただいた先輩のお店ではキャラの濃いマスターから
一同元気をもらった。
夜から合流したあにの親友タツヤさんは超多忙の中わざわざ駆けつけて
オレ達を労ってくれた。ただただ優しさがうれしかった。

あにさんを通じて全国的に支援の輪を広げてくれた
「チキン」の原作者井口達也さんの男気にもあらためて感動した。
「チキン」おもしろい。ツッパリ漫画好きのオレにはストライク。

カツヤは大量のアルコールと激辛マーボーラーメンにやられ
宿に着くと敢え無く轟沈・・・・。汚矢須魅なさい・・・。

日曜日にはあにのいとこのトルさんが合流して
お土産だ飯だと付き合ってくれた。
ヤスダヨーグルトのソフトクリームは甘ったるくなく
さわやかな味わいでうまかった。。
トオルさんは優しい人柄がにじみ出ているすごく穏やかな人だった。
そして・・・ハチャメチャで楽しかったあにプロデュースin新潟閉幕の時が。
あにの一つ一つの行動のこだわり、気遣いが本当にありがたかった。
根性があって気合いが入っている仲間たちがスコップ団を応援してくれていた。
そんな事実が個人的に嬉しかった。
人は人生の途中でいろいろとあるものだ。
経験を通して覚醒し、正すのかそのまま行くのかで大きく生き方が変化する。
明日愛する人に会えなくなるかもしれない・・・。
オレ達はこの言葉の意味の深さを知った。
大事なのは過去よりもこれから何ができるかの未来。
あんなに素敵な家族や仲間がいるのだから。
もう悲しませないように。

あに、ありがとう。そしてお疲れ様でした。
また会おうぜ。
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了ちゃん合流できたらすっぺし!と無理な連絡してゴメンコップ。
引き続きの旅、気をつけらいんよ。