いわゆる術後の急性期であり心拍数が乱れたりなど
安定しないことも多々あることが想定されるため
心拍数や血圧、排尿の量などがマメにチェックされました。
術前の息子の心拍数は平均して100~120くらいでした。
術後は140台と常に高く少し不安でした。
聞くところによると新しい心臓を安定させるためにわざと
電磁操作で高めに設定しているとのことでした。
身体のあちこちには太めのドレーンが挿入されており
そこからの排液の量も重要だという事でした。
拒絶反応をなくすための免疫抑制剤もすぐに投与されました。
初めは水で溶かした抑制剤を管から胃に直接行くように
投与していました。
こちらも1週間後には経口で自分で飲まなければならない。
と説明されました。
人造人間のような姿の息子に寄り添い、
「どうか無事にすべての管が抜けますように」とまた祈りました。
しかし私の心配をよそに術後の翌日には人工呼吸器を抜管し、
3日目には数個の点滴がはずされ・・・
4日目にはまた別な点滴がはずれ・・・
5日後にはドレーンが抜かれ・・・という感じで順調に経過し
なんと7日後には無数についていた管がすべてはずれました。
私は今までの息子の闘病パターンである
良くなって悪くなり、手術して安心してまた問題が発生する
というパターンを嫌というほど体験してきたために
この順調さがむしろ怖いくらいでした。
しかし、医師から
「彼はとても順調だ。いまのところパーフェクトですよ。
これまでが苦労続きだったからこれからは幸運しか起こらない
でしょう。」という言葉を聞いた時にこれまでの憑き物が
一気に落ちた感じがしました。
アメリカに来てから初めて心が晴々したような気がしました。
眠っている息子の左胸がトクットクットクッと波打ち、
躍動していることを見た時のあの感動は一生忘れない。
手術から7日後、息子は歩行のリハビリ、英語のレッスンを
開始しました。
渡航前にせっかく歩けるようにまで快復していましたが
渡航後の頭の手術のせいで1ヶ月間寝たきりになり、
足腰の筋力が極度に低下し、足首も硬くなってしまったため
自力で立つこともできませんでした。
はじめはイスに座るところから始めました。
その後、身体の硬くなった箇所をほぐしながら徐々に
歩行リハビリへと移りました。
日本と違うのはマッサージは親の役目でPTさんは
やってくれませんでした。
アメリカのリハビリは結構スパルタ(というかアバウト)で
「いや、それは今の息子には無理でしょ」ということを
ガンガン求めてきます。
息子はもちろん痛がり途中でやめてしまうのですが
「ヘイ!ユート、カモン!」と大声を上げて盛り上げます。
そうすると息子も力を振り絞って目的地まで歩き抜くのです。
「君はもう病気じゃない。だから自信を持って!」
そんな風に教えているようでした。
新しい鼓動は一歩づつ日々逞しく息子に馴染んでいっている
ようでした。
それはまるで「君とボクは一生一緒。仲良くしていこうね」
と息子の潜在意識に語りかけているように見えました。

一周間で座れるようにまでなりました。

初めはいた~いと言ってなかなか歩くことが
出来ませんでした。

PCを使った授業がすきでした。

ドレーンも抜けてすっきり

はじめてイスに座った時

移植後なぜか天ぷらが大好きに。
由宇人が大好きな歌。
HAPPY BIRTHDAY♪