激動のマンハッタンでの270日間が終幕を迎えようとしている。
命を救われた病院へ借りていた備品を返却しに行った。
残念ながら国際サービス課の藤田さんは留守にしていたが
彼女の上司で由宇人を自分の息子のようにかわいがってくれた
ブライアンが応対してくれた。
彼は会話の中で「He is lucy boy!」 「Its a miracle!」と
彼が今元気でいられることは奇跡としか言いようがない。
彼は本当に強運だった。
と何度も口にしていた。
実は渡航してから我々両親も予期せぬアクシデントが起こってしまい、
誰もが悲観して途方に暮れてしまった場面があったのですが
アメリカの医療技術と息子の生命力と運がうまい具合に共鳴し合い
シンクロ率100%で奏功した。ということがあったのです。
詳細はこれから書く回想記で伝えようと思います。
ブライアンはアメリカはブッシュ政権時代の負の遺産やさまざまな
国際的問題を抱えているけれど、どうかアメリカを悪く言わないで
欲しい。
なぜなら由宇人を救ったアメリカの移植医療は人命を救うという
最も尊い行為が世界に誇れるテクノロジーなんだ。
と真剣に話してくれた。
オレは彼の青い目を見ながら
「I think so」 「I know」「わかってるっつーの。」真剣にうなずいた。
別れ際、「Thank you Brian・・・。」
「See you october」
きついハグをして再会を誓った。
どうやら10月に仙台に来るらしい。
そうか。じゃあ来た時はエスパルの地下で牛タンとずんだ餅とほやを
たらふく食わしてやるよ。
これで本当に最後の来院になると思うと感慨深くなった。
帰り際、お世話になったNewYork Presbyterian Hospitalへ
深々と一礼して地下鉄へ向かった。
頭の中には「This is a song for USA~♪」
なぜだろう。チェッカーズが結構な音量で流れていた。
「最後のアメリカの夢を、俺たちが同じ時をかけた証にsing so・・・」
偉大なる国アメリカ合衆国へ敬礼!
そして母国日本の皆さんへ敬礼!
さぁ、みんな待ってる。
おうちへ帰ろう。
Meはこう見えてまだ33歳ナンデスヨ。