無事記者会見を終えた翌日から本格的に募金活動が
始められました。移植者支援組織とT大学病院側で何度も
打ち合わせをして決めていただいた渡航移植費用の目標募金額は
1億3,500万円となりました。
日本では15歳以下の小児の移植はできないため(※2010年5月当時)
渡航移植をさせていただく決意をいたしましたが
個人ではとうていどうにかできる額ではありません。
このような大金を2ヶ月で集めさせていただくという目標を立てました。
まことに申し訳ありませんでしたが、息子の命を救うためには
世間の皆様におすがりするしか方法がありませんでした。
楽天の2軍球場では東北楽天ゴールデンイーグルスの選手の
皆様、対戦相手の読売巨人軍の選手の皆様方より募金をして
いただきました。
会場では幼稚園のママさんとお友達が一生懸命声を出して
募金を呼び掛けてくれました。
新聞やニュースで取り上げていただいたおかげでスタート時の
週末の土日は各募金会場での反応は良く、わざわざ「ニュースを
みて募金しに来ました」という方も多くいらっしゃいました。
活動の部隊は主に救う会の事務所で電話応対チームと現場での
募金活動チームに分かれて活動をしていただきました。
妻は主に息子の付き添いをし、私は街頭に立ち募金活動のお手伝いを
行いました。時には交代したり、祖父母やいとこに息子をみてもらい
夫婦で街頭に立つこともしばしばありました。
道行く人々から「がんばってくださいね!」「絶対元気になるから
大丈夫!」などとたくさんの温かい言葉をいただき胸が熱くなり
涙することもしょっちゅうありました。
宮城県の方々のやさしさに直に触れることができた貴重でありがたい
経験をさせていただきました。
しかし、募金スタートから1週間は救う会が期待していたよりも募金
の集まり額はイマイチでした・・・。
このペースでは2ヶ月で達成することは難しいな・・・。
誰もが不安を感じた7日後の月曜の朝でした。
1回目の報道は写真のみだったしインパクト薄だったかな?
救う会の面々は困惑しながら次の段階に進むことにしました・・・。
今週は補助人工心臓を装着した息子の今の状況を取材してもらい
映像で流すことしました。
親としては痛々しいポンプ姿を映されるとに抵抗はありましたが
今はこのポンプが息子の「心機能の重要な補助」をしている
ことは事実。
この機械がないと生きられないことも事実。
でもこの機械はそう長く装着していられない。
宮城の皆様お願いします!息子にどうか新しい心臓を
いただくチャンスを与えてやってください!
ということを伝えるには真実を見ていただくことが一番シンプルだと
思いました。
当の本人は病室でのリハビリから別室のリハビリ室で器具を使った
もう1つ先のステップへ進むほどに快復していきました。
「子供の可能性は計り知れない」
入院生活の中でこの時ほど以前ドクターが言っていた言葉を
強く感じたことはありませんでした。
そして息子の闘病生活の要所を撮った取材もほどなく終了し、
オンエアの日を迎えました・・・。
毎週の募金活動ありがとうございました!感謝です。
「きき湯」を入れた足湯がお気に入りでした。
初めてのリハビリ室にわくわくでした