回想~2010年 4月/おかえり・・・ | 小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

ウルトラマンの本をきっかけに息子は毎日ほんの


少しづつですが意識が回復してきているようでした。


本を読み終えてしばらくするとまた一点を見つめ、


ぼぉーとすることもありましたがそんな時はなるべく


話しかけるようにし、傍にいて安心感を与えるよう


心がけました。おしっこもすごい量が出るようになり、


体内に残っていた余計な水分もほとんど引けました。


食事の方はチューブを鼻から直接胃へ通し


エレンタールを摂取していましたが徐々に量を


減らし、ついには経口でトライしてみようという医師


からのOKがでました。「由宇人、先生がお水飲ん


でみてもいいってよ。飲みたい?」と聞くと


ぎこちない動きで首をタテに動かしました。この


時期の息子はまだ麻酔の影響からか無表情な


時が多く、私たちの問いかけには首を横か縦に


動かすだけでした。スプーンでジュースを一口与


えると、久し振りの飲み物に大きな目をパチクリ


させて「おいしい」と言っているようでした。


パンやプリンも少し食べて満足したようでした。



息子は人工呼吸器を外したばかりで声が出ない


ことにも不安がっていました。


私は「由宇人の声が出ないのは、喉の奥に管が


ずーっと入っていたからなんだよ。


でも毎日少しずつ出るようになるから


がんばってパパとかママとか呼んでみてね。


自分からやろうとしないと声は出ないよー。」


と教えました。そして抜管してから3日後くらい


のことでしょうか。いつものようにウルトラマンの


本を読んでいると、かすれた声でかすかに


「パパ・・・・」と聞こえました。私はハッとして


息子を見ました。「由宇人、今パパって言えたね!


やったじゃん!声出たじゃん!」久しぶりに息子


の声を聴いた私はこの時やっと本当の息子に


会えた気がして心の中で「おかえり由宇人!」


と叫びました。まだ蚊が泣くような声でしたが


ここから息子の生きようとする力がより輝き


始めることになるのです。


ICUでは妻がほとんど付きっきりで看病をして


くれました。私も休みの時は交代して息子の


傍にいました。一日に1回PTの先生が約1時


間をかけて身体の隅々をマッサージをして


ほぐすリハビリをしくれました。


私達も一部のほぐし方を覚え、しょっちゅう


「由宇人の身体がちゃんと動くようになります


よーに。」と念をこめながらマッサージをし続


けました。そんなICUでのリハビリ生活は


1ヶ月以上続きました。

拡張型心筋症闘病ブログ「ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」
久しぶりのジュースを味わって・・


拡張型心筋症闘病ブログ「ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」
歯磨きもちゃんとしないとね