この 記事 読んで
当時を 思い出した…。

↓ あぽりさんの記事から
「お薬手帳」関連で読んだ ものです。
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保険証はどこ!?母の誕生日は?救急隊の人に言われて大慌て/あぽり | みなさんの体験記 | 毎日が発見ネット|人生のちょっと先のことがわかる対策メディア
https://mainichigahakken.net/essay/article/post-350.php
https://mainichigahakken.net/essay/article/post-350.php
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祖母が
倒れた時の事…
祖母は
母方の おばあちゃん で
夫を 戦争で亡くしている。
それも
硫黄島で…。

明るく
チャーミング で
苦労の多い人生なのに
常に 前向きで
弱き人を助け
豪胆でも あった。

そして
時々 か弱さをも
見せてくれる所が
とても
人間的に 深みがあり
尊敬できる 身内だった。

義理の 息子である
父と
とても 気が合い
折り合いが悪かった
お嫁さんから
逃げるため
時々
家に遊びに 来ていた。

その時の 実家は
まだ
洋室もあった ものの
↑この頃 洋室があるのは珍しかったのですが
父が ハイカラ 好きだったのです。

和室が メインだったので
襖(ふすま) 1つ向こうの
客室に
祖母が寝ていた晩の事

その時
私は まだ 社会人になりたてで
研究所に
勤めていたのだと思う…

セミナー か何かの
準備の為
文献か何かを
解読してたのだろう
↑読めていない所がポイントです。

しん… としてる中
何か聞こえる
夢でも見てるのか
呟きが聞こえる
はじめは
気にしなかったのだけど
一向に止まないので
一度
話しかけようか
悩んでた時…
「しか ちゃ~ん…
ウゥ…しかちゃ~ん」
私の名前を
呼ぶのだ…

えっ?
私の名前?

夢なら
もっと 母とか
父とか
違う人の名前を呼ぶはず…
そんな 違和感を感じた。
「おばあちゃん!
どうしたの?
開けるよ」
そこからは
あまり
記憶がない

とにかく
別室の母親を
起こして呼んで来た。
何がなんだか
どうしていいか
分からなくて
おろおろ
してる母に
「これは 絶対!救急車!」
「遠慮しないで!」
そう
キッパリ!
言った事だけは
覚えている!

↑この時 既に 父は他界していた
母は
震えながら
電話していた。
祖母 は喘息持ち。
これは何だろうと
発作用の
吸入器に興味が 湧いたのが
私の 進路の きっかけ
かも しれない…。
持参していた
薬のセットも
渡して
救急隊員にも告げる。

やはり
彼女は 脳梗塞 だった。

処置が
早く
リハビリにも
力を入れていたため
思いのほか
元気になった。

倒れる
前夜 から
前兆は あった…
その時
私は 薬剤師 の免許は
持っていても
実際には
メーカー勤めの
会社員
実際の 患者さんとは
繋がった事のない存在。

それでも
彼女が 前夜
ご飯の時に口にした
「最近 歳のせいか
手が痺れてねぇ」
「湿布 貼ってんの
少したつと治るのよ」
そして
足が痺れたと
立てない 時があった。

本人も 母も
「やぁねぇ~」
と
笑っていたが
…違和感

田舎のおばあちゃん に
ありがちな
電車の座席でも
正座をしてしまう
祖母が
↑勿論 人が まばらな時のみ!
痺れる…?

でも
本人達が
和気あいあいと
笑ってるのに
水は させない

そして
病気と判断するだけの
根拠と経験が
その時の私には
足りて無かった。

今 思えば
典型的な 初期症状。

しかし…思う
なぜ
彼女は
母でなく
私の名前を 呼んだのか…
私と母の名前は
似てはいるが
確実に
私の名前だった…

いざと 言うとき呼ぶのなら
母の名前
もしくは
彼女の本来の 家族の誰か
な ハズなのでは…
こんな
まだまだ 社会に出たての
コムスメ では
ないはず…

…もしかしたら
私の 想像以上に
彼女の中の
ワタクシ の存在は
大きかったのかも しれない…

そう
思い起こさせる
記事だった…。







また
素敵な ボカロPさん
見つけました。





再生回数が
いって無いのは
今までは
ニコニコ動画でしか
発表して来なかったせいかな… 

この方の
リンちゃんの曲
凄く良い!


もう
サビ とか 声の処理に
震える… ガクブル
↓ 「a wish」
ボカロP・Otu Q さん (読めない
)

歌い手・鏡音 リン ちゃん
↓YouTube 公式サイト