キネシオロジーに出会ったのは、
もう十数年前。
ご存知の方もいらっしゃいますが、
とにかく虚弱体質で
第二次成長期に、おおかた治りますよ、と医師に言われていた喘息は
しっかり大人喘息に持ち越しになり、
社会人になっても、朝点滴を外し、通勤し、病院に戻るという入院もしていました。
実際問題、
幼少期に激しい入退院を繰り返し、まともな学校生活を送っていなかった私は
繰り返すぜんそく発作でやせ細り、入院生活の中でも『細川筋子ちゃん』などと看護師に呼ばれたりしていました。
小学校高学年になっても、親としても先が不安だったようで、
中学なんてとんでもない、
年齢が一緒でなくても、しばらく小学生でいいじゃないか。。。と小学校に相談しに行っていました。
(結局は義務教育で留年はないので、と、カタチだけの中学進学をしました)
小さいころから、よく考えていたこと。
自分は生きてはいけない。
家族に迷惑をかけてばかりだ。
厳しい父親には、お前は金食い虫だ
お前が入院しなければなんでも買えると言われたり。
小学校に入ってからは自殺ばかりを考えていました。
そういった、産まれてからずっと、健康面の問題と
同世代と健康的な交流をしていなかったため、人間関係という
社会に出ると避けられない人との問題がありました。
体力は、少しずつ、、、3歩進んで2歩下がる~を繰り返し、ちょっとずつ健康を実感してきましたが、
人との付き合いは、空振りばかり。
この人は気が合うのかもしれない、と思う人が言う社交辞令に気付かず
本気で予定を尋ねたり
正直な気持ちを吐露したら、別のところで暴露されていたり
女子の集団行動や集団化した恐ろしいほどのパワーそのものに慣れず、
スピードについていけなかったり
元々直球だったので、「なぜ?」と尋ねて場の空気を悪くしたり、、、
痛い行動は自覚しつつもどうしようもないループにはまっていました。
大好きな「友達」と思っていた方にも
「強いリーダー格」の女性がいると、そっちに従って、スパイのように詮索され行動を逐一報告されたこともありました。
まぁ、今となっては「する」も「される」も同じエネルギーだと理解できますが。
同じ穴のなんとか。
当時はとにかく人間不信で
成人しても
もっと自分の人生をラクに生きたい
もっと楽しく生きることを自分に許したい
「今日は無事にすごせるだろうか」とドキドキして出勤する毎日。
もう心がどうしようもなくなって、キシキシ言って来た時に、
すがる想いでいくつかセッションを受けてみました。