養老孟司さんの「ものがわかるということ」を読みました。
養老さんは医学博士であり、解剖学者。
人間そのものや脳の仕組みについても詳しく、
その語りは独特の世界観があります。
ものがわかるって、なんでしょう?
養老さん曰く「考えても答えはでません」
「わかる、ということがわからない」
「わかる、とはどういうことか?」が
「わかっていない」
それでも、説明はできます。と元教師の養老さん。
人の世界は十人十色、それぞれ違った世界を持っています。
1つの現象でも、一人一人が違う見方をしているため、
1つとして同じものは存在しません。
そして、学ぶ、経験するを通して、今までとは「違った」世界を見ます。
過去の自分が見ていた景色を見ることはできません。
未知との遭遇は、新しい自分との遭遇であり、新しい環境の遭遇ではない。
自分探しをしても、何も「わからない」。自分というものは、自分自身で創るもの。
現代はマニュアル化された人間が多い。
子育てと自然にマニュアルはない。
「情報」を1つのものに固定し「変わらないもの」と位置づけ、
そこに合わせようと努力する。
こどもは変わっていくものなのに、「個性を伸ばせ」と
情報社会の中で教育しようとしても個性を消されてしまう。
SNSは純粋脳化社会で、「同じ」を作り、「違い」を認めない。
「いいね」の数で人からの評価を気にするようになり、
次第に他人の評価に自分を寄せるようになり、周りのことばかり気にするようになる。
感覚に害を持つので、若いうちはやらない方がいい。
確かに、SNSの世界がその人かと言われれば、全く違いますからね。
ギャップが違う人、私も何人も見てきました。
日本人は自然とともに生きてきましたが、
今は人が生きやすくするために、自然を無くして生活しています。
都会に自然は存在しません。コンクリートの世界。
都市以外に一定期間住み、自然と触れ、感覚を取り戻す。
都市の中で生きていると、感覚はどんどん失われていきます。
養老さんの色んな本に「現代の参勤交代」が紹介されています。
都会を離れる期間を作り、自分の田舎を作っておくことが提唱されています。
季節を告げる虫の音色、花、空気。
これらが伝わるのは、周囲に自然があってからこそですからね。
私は、田舎で生まれ育ちました。
春には雪解けの土から、ひょっこりでてくる芽や花。
田んぼに水を張った頃、カエルの合唱が響きます。
夏の朝晩にはひぐらしの大合唱。
秋の頃になると、トンボが一面に飛びまわります。
山の紅葉樹が彩り、葉が落ちて、
冬になると雪で覆われた中でストーブで餅を焼く。
残念ながら、今の私の生活に、これらの日常は存在しません。
便利になった反面、人は大切なものを置き去りにし、
何か別のものに感性を乗っ取られてしまったかのようです。
ものがわかるということ、私たちは、何がわかるのだろう?
私たちの見ている世界は、顕在意識の3%に過ぎない。
残りの97%、ほとんどは潜在意識で、実は何もわかっていない。
「分かる」ためには、意識や理性を外す。
それでも、分からない。人間って面白い。
考えることは、やめない。放棄しない。正解はない。
養老孟司さん、御年85歳。
自分を自由にしてくれるものの見方、考え方を説いた
養老さんの世界観溢れる面白い本でした。
教育、情報、子育て、文化継承、自然、色んな視点から学べます。
面白く分かりやすく書かれた本もきっと本質は「わからない」
それでも情報化人間にならず、可能な限り自然と共に生きる
人間として自由な道を選択していきたいです。
この本、主人が買った本ですが、先に読んでしまいました。
読書が好きで、ビジネス書や小説なども、勝手に読ませてもらっています。
次は何を読もうかしら。