いやー 昨日くらいから、花粉かなり飛んでますね!
鼻 ぐしゅぐしゅ くしゃみ連発です。
明日は、嫁の実家の岡山に日帰りで法事です。
嫁の母上が亡くなって、早1年! 月日の経つのは、早いものです。
オヤジの母上が亡くなって、7年 ( ̄□ ̄;)!!
それぞれの母上、まったく共通点がありませんが逝ってしまったのは、2人共に
ホント突然の事でした。
嫁の母上は、突然の心筋梗塞で亡くなりました。(朝起きて来ないので、おかしいと
思い父上殿が見て見ると冷たくなっていたそうです。)
オヤジの母上は、母の人生で初めての海外旅行でオヤジ以外の家族で行った
旅先で、これまた突然の心臓疾患で亡くなりました。 (入院先で、一時は回復して、
大丈夫って言われたその夜、急変して、逝ってしまったそうです。)
この時、オヤジは、たまたまパスポートが期限切れで、すぐに駆けつける事が
出来ませんでした。
外務省の方から、最短(半日)でパスポートを発行できるようにしますが、
どうされますか? と聞かれました。
今になってみても、どうしてこうしたのかは
わかりません!
が、母の死を旅先の姉から聞かされた時、思いっきり泣いて吹っ切れたか、
どうかわかりませんが、今、駆けつけるよりも、日本で帰りを待った方が良いのでは
ないかと思い、パスポートは発行してもらいませんでした。
(今でも本当にこれでよかったのか考えさせられます。)
そして、帰ってきたときに万全の体制でお迎えできるように準備しました。
日本も、その渡航先も同じで、人は死んだら法律上は、『 もの 』 扱いに
なります。
つまり、所定の手続きが完了しないと、日本には、帰ってこれなかったのです。
当時で、はっきり覚えていないけど1週間以上はかかったと思います。
当時、この1週間がオヤジには、1年位に感じていました。
ただ、母上にとってオヤジ以外の親族と一緒の旅行だったので、それは、
みんなで楽しいひと時を過ごせたと思うので、今思えばよかったのかも
しれません。 (オヤジは一緒にいられなかったので、残念ですが)
母は、この旅行に出発する前にオヤジの家に電話をくれていたのですが、
たまたまオヤジ家が全員留守で、話す事が出来ませんでした。
(留守伝に、うきうきした声で『 旅行に行くんだよー』 って
残ってました。)
そう考えると、楽しいひと時をきっと過ごせたのだと思います。
そう思いたいです。
故人を忍ぶ思いは、人それぞれと思います。
オヤジは、今だに当時の事を思い出すと、複雑な気持ちになります。
でも、決して後悔している訳ではありません。
だって、母の子で本当に良かったと思っているのですから!


