今日は、会社早退して病院から早帰り。

 

昨日は、仕事で仙台フィルオーケストラの演奏を聴いたり、仕事終わって、手話のサークルに行ったりしていました。

 

夫がいないと寂しいですが、まあ、寂しいなりに活動していました。

 

 

昨日参加した手話サークルの先生は、生まれながらにして耳の聞こえない、少しお年を召した先生でした。多趣味な先生で、特に、花を愛でるのが好きでガーデニングや、季節のリース作りを常にやっているようでした。

 

先生は数々のサークルや家族関係、その他色々な趣味などで沢山の人と関わっており、自分の持っている「耳の聞こえない」という障害も乗り越え、逆に耳が聞こえないってこういうことなんだよ。こうしてもらえると良いんだよと私たちに教えてくれています。

 

そして昨日の手話のサークルの中で、スマホの話になりました。「今、楽天モバイルが安い。電話ができないからインターネット(ウェブとメール)機能があればいいから、月1,000円の利用料で済んでいる」という内容でした。

 

お、それはいいな〜と思っていたら、耳が聞こえないと怖いことがあるという話に会話が移りました。

何が怖いかというとエレベーターに「一人で乗る時」がとっても怖いそうです。

なぜなら、もし地震があり、中に閉じ込められてしまった場合、暗がりの中でインターフォーン越しに外の人に助けを呼ぶと言うことは、生まれながら耳の聴こえない人はあまり言葉を上手に発することができないので、理解してもらえないかもしれない可能性が高いと言うのです。そして、インターフォンから呼びかけている相手の言うことは全く聞くことができないということで・・・・

 

考えてみれば「そうだな」と思ったのですが、言われないとわからないことってありますね。

 

先生は大変な人生を歩んできたのではないかなと考えていましたが、衝撃だったのが次の言葉

 

「でも僕は生まれ変わっても、耳が聞こえなくて生まれてもいいと思っている」

 

えーーーー。と思いました。どうしてかというと、

 

「当たり前のことを当たり前だと思って生活してしまいそうだから」

 

とのことでした。

 

この先生は神だと思ってしまいました。

 

でも、ふと・・・先生が、一度耳の聴こえる生活を体験したらどうなるのかなと考えてしまいました。

 

私は、音楽が好きで、昨日聴いた仙台フィルオーケストラの演奏に感動しました。

 

花を愛する美しいものが好きな先生。美しい音楽が聴こえてきた時、どう思うだろうか、本当に生まれ変わっても耳が聞こえなくても良い感じるだろうかと昨日考えてしまいました。

 

知らないことを知る。感じる。そして感動してから、困難が来るとどうなるんだろうかと・・・。

 

幸せって何なんだろうと考えてしまいます。

 

まずは今に感謝し、今を精一杯生きる。その中にとんでもない幸せが待っているような気がしてます。