記者とは感性の仕事である、と思う。
努力と体力と根性だけでなく、ヒトとしての感情や正義感や
理想がある日、モノを言う。
しばらく会っていなかった記者仲間が、じつは
本を出版していたことを昨日知った。
しかもアマゾンの書評では結構人気も高い。
同じ業界を数年前に一緒に担当していた関係で
記者会見とかでよく会う人だった。
物腰も柔らかく、記者なのにフレンドリーで、
(注:世の中の大概の記者はいけ好かないヤツが多い)
すぐ仲良くなった。
彼は私といっしょにある業界のニュースを追いかける
業界担当記者でもあったのだが、それとは別に
ライフワーク的な「テーマ」をいつも抱えていて
そのテーマで記事を定期的に書いていた。
ライバルでもあり悔しいが、じつにいい記事ばかりだった。
本の書評を読んでいて、そもそもなぜ彼がこのテーマを
扱うようになったかわかった。
きっかけは、私も多分取材したことのあるあるメーカーの工場。
なにぶんメカ好きで工場好き(なにせガテン系なので)の私は
工場内でじつに巧妙に効率的に動く生産ラインの
仕組みに夢中になって
そればかり見て、取材していた。
彼は、全く別のものを見ていた。
工場内には、正規の社員以外に、
違う制服を着て、
取材者が話しかけることも
写真を撮ることも許されない存在の
「ハケン」作業員がいた。
あれは何なんだ?
今日のフルキャストの営業停止命令ではないが
今色々と話題になっている
派遣社員の労働問題、という
テーマに取り組むことになったのは、
それがきっかけだったという。
じつはまだ著書は手に入れていないのだが、
このことを初めて知り、なんだか自分が恥ずかしくなった。
同じ風景を見て、その中から何に注目し、
どう掘り下げるかは
まさに感性や人間性によって異なる。
たとえ経済記者といってもそれは同じことで、
何をテーマとするか、何を読者に訴えたいのか、
記事を書くことで何をしたいのかは、
通常の取材の中でも
常に自分に問いかけ続けなければならない。
記者も所詮サラリーマンであり、
ルーティンワークもあれば
馬鹿な上司の不条理な業務命令を
黙ってこなさなければならない
こともある。
というか、そっちのほうが多いかもしれない。
ただ、そんなサラリーマン的仕事に忙殺されるなかで
記者の本分としての感性や、正義感や、人間性を
鈍らせてはいないだろうか?
自分は、記者として何をめざすのか。
ライバル記者の立派な仕事を見て
改めて褌を締めなおさなければ、と誓った夜だった。