どひぇー。
更新もしていないのに、総合ランキングで3万位、ジャンルで70位の
ジャンピング・ランク・アップ?!
と、ちょっとびびりました。
締め切り中の現実逃避手段としてお気軽に開設した
当ブログにいらしていただいた皆様、
ご来店誠にありがとうございます。
そしてすみません、最近くだらない話が多くて・・・。
ジャンル内100位内ランクインが現実的になってきた
今、少し読み応えのある話をやってみようかとも
思いまして、ちょっと自分の「これまで」のキャリアのことを
連載で振り返る新企画を立ち上げてみようかと思います。
題して「私がガテン系記者になるまで」です。
第一話 始まりは「勘違い」。
いまでこそいっぱしに「記者」の肩書きで仕事を
やらせていただいてますが、学生のころの私ときたら
新聞も読まなければ、ニュースも見ない。
さらに、もともと算数ができないので、すこしでも数字関連の
話が乗っている本を見ると吐き気がする、と言った有様でした。
一応某大学の英文科に籍を置いてはいましたが
学校には酒を呑みに行っていたようなものです。
将来についてもほとんどなーーーーーーーーーーーーーーーーーんも
考えておらず。唯一薄らぼんやりと頭にあったのは
「当時つきあっていた彼氏と結婚して専業主婦」
との妄想くらいのもんです。
そんな中、その彼氏との別れがやってきました。
当時のうぶな私にしてみれば、結構痛手を被りました。
生活のほとんどを占めていた存在がいなくなるという
ことに加え、実家の方でもそれとは別にいろいろと家庭内の
揉め事があったことなんかもあり、
とにかく精神的に参ってしまったんですね。
「このままじゃ自分が腐ってしまう。なにか
自分の生活を満たす何かを探さなければ・・。」
ということで、次の彼氏でも都合よく見つかれば
よかったのでしょうが、生憎見つからなかったので
以下の二つの新しいことを急遽始めてみたのでした。
「インドネシア語」
「ビデオジャーナリスト講座」
前者は当時、東南アジアが好きだったので、
何かアジアの言葉を習ってみたい、という気軽な
気持ちで、都内のNPOが主催している講座に
半年くらい通っていました。
後者は・・・純然たる「勘違い」によるものでした。
飲酒以外にさしたる趣味も無かった私が
まあ唯一はまっていたのが「映画」。
専業主婦で左団扇、という甘い計画が頓挫したため
将来、もしできるものなら映画関係の仕事に就きたいなあ
とやはりうすらぼんやりと考えておりまして。
ただ、あまり大量に新卒学生を採用して
くれるような業界ではないだろうから、
何かアピールできるような
技術を身につけたい。
んで、雑誌だか新聞だかの広告で
見つけたのがこのあまり耳慣れない
「ビデオジャーナリスト」
なる言葉。
当時、かなり視聴率を稼いでいた民放のあるニュース
番組があったのですが、その制作とメインキャスターの
マネジメントを一気に引き受けていた、
かなり大手のTV制作プロダクションが
新しく始めた講座ということでした。
ニュースを作っているプロダクションが主催する
ビデオジャーナリスト講座。
この二つの組み合わせの時点で
「映画」とは無関係。と気づくべきでしたが
この時点で、本来ならジャーナリストに必要と
思われる、調査能力や洞察力の
決定的な欠如
をぶち晒しております(;´Д`A ```
当時、とにかく何か忙しくいろんなことを
やらないとココロが折れそうだった私は
なぜか「ビデオ」のところだけに反応して
「将来映画をやる時になにか役立つはず」
と勝手に決め付けて、約30万円の受講料を
ぽーんと払ってしまったのでした。
そんな勘違いを放置したまま、第一回目の授業がやってきました。