ショパンはピアノの詩人の名の如く、世のピアノ弾きは例外なくショパンに取り組む機会が多いのではないでしょうか。
という私もショパンを常にと言って良いくらいに弾いているわけで、普段からショパン演奏に関して思うところが多く気づきがあります。
それは、ショパンに限らず全ての作曲家🎼の演奏に対して言えることですが「弾けているだけではダメ」ということです。
指が速く回る、間違わずに弾ける、などは一見良さそうなのですが、私はあまりそう言ったことに重要さを感じません。もちろん、基本の奏法がバッチリ出来ていることは大切で、その上での話しなのですが。それよりも、楽譜を読み解き、曲を理解して背景まで分かって作曲家の表現したかった想いにシンパシーを感じられるか、そんな音色を出せるかの方が貴重で、音楽はそういうものだと感じています。
殊に、ショパン、あるいはシューベルトの演奏は「弾けているだけでは何もならない」作曲家の筆頭に挙がるという実感があります。
ただ、やはり、そうは言っても基本的な技術が高いレヴェルで存在するのは本当に大事で。それがなければ何も表現できないわけですね。
だから強いて言えば、弾けるだけで終わると思ってはダメ、ということなのかも。
今、私が取り組んでいる曲の一つにショパンのノクターンop.62-2ホ長調があるのですが、弾くのに特別な、何か問題があるわけではないのですが、曲が語っている世界観にシンパシーを感じられるか、自分の中に同様のものを見つけられるか、というところが最大の課題なんだろうなぁという気がしています。
ショパンにしても、シューベルトにしても晩年期になればなる程、その心象世界が深く深く、、、一筋縄でキャッチできないのですが。
ショパンのマズルカop.59や、シューベルトの即興曲op.90に取り組んだ時にも同様でした。
今はノクターンop.62-2の世界をキャッチしてみたいと思っています。
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