思い出されるのは四年前の運動会。
蒸し蒸しと暑い日でしたが、
主人のみ冬用のセーターを着てました。
顔色が悪かったのを覚えてますね。
主人は前年の10月から
仙台へ復興支援の現場監督として
参加していました。
「寒いし、地震しょっちゅうあるよ」
運動会が終わったその日に
仙台に戻りました✈️
その1週間後くらいでしょうか。
「お腹痛い」
「熱がひかん」
もともと腸も弱く脂肪肝があったので
熱は出やすかったですね。
町医者に行くと
「ただのお腹の風邪」
と診断されたよう。
現場で事故があり、人員不足の現場では
39度を超える主人が
出勤せざるを得なかったようです。
さすがに限界を感じた主人は
救急センターへ自力で行ったよう。
「盲腸」と診断され
緊急手術となりました
。

「僕、盲腸やって。人生初の手術やわ」
ものすごく怖いんですよ。
朝一番に鳴った電話は
若い男性主治医からの連絡でした。
そこから便が体内に飛び散って
一部腐っていた大腸を20㎝切除。
6リットル輸血し一命を取り留めたとのこと
途中から、
先生が何を話してるのか
ついていけなくなりました。
モノレール、徒歩。
片道6時間かけて仙台に行きました
「こんなに時間をかけて行ってたのか」
昭和の匂いのする病院は、
たくさんの患者さんでごった返してました。
病室に着くと、
見慣れない手術着を来た主人がいて
勝ち気な私ですら
嗚咽が漏れそうになりました。
「1週間で退院できますよ」
にこやかな男性主治医は
手は後ろに組んでいました。
1週間で退院? うそつけ!
1週間後に再び大手術となりました。
ICUに入った主人は
私の知ってる主人から
どんどん離れていきました。
でも、主人の回想は違うものでした
それまであまりにも辛かったから
麻酔が効いて気持ちよかったわ。
僕はあの時に死んでたから、
そこからは授かった人生だったんよ。
これが4年前の6月の記憶です
