はじめは、もちろん一人でパチンコ屋さんに入る事なんて、できなかった。
しかし、慣れとは恐ろしい物で、店員さんや、常連さんに顔を覚えられる様になる頃には、あまり周囲の目も気にならなくなった。

何も知らない頃は、新台オープンで、朝早くから、お世辞にも小綺麗とは言えないおじさん達が、地面にツバを吐きながら、くわえ煙草タバコで並んでいるのを見て、なるべく目を合わせないようにと、足早に通り過ぎたりしていた。


それなのに、まさか旦那に言われて、9割おじさん、たまにおばさん、貧乏学生風のお兄さん、達に紛れて、自分があの列に加わる日が来るなんて!
思いもよらなかった。キョロキョロ


真面目に仕事はしていた。

しかし、勤務時間が終わると、足早にホールへ向かう日が続いた。


ホールに足を踏み入れるまでは、恥ずかしさやら、罪悪感やらを感じているのだが、一歩中に入ってしまえば、

郷に入れば郷に従えだ。

昨日は、あの台に何万札束も入ってるから、今日は出るだろう。とか、昨日の後半から出始めた台は、きっと今日も好調だろう。とか、そんな事を考えながら、お気に入りの台を打つ。

もちろん、すぐに出る時ばかりじゃないけど、予想通りに確変連チャンなど引いてしまうと、ドーパミン出まくりで、楽しくて仕方ない。ラブ
自分の席の周りを、ドル箱で囲まれる優越感は、一度味わってしまうと、何度でも求めてしまう。


どうせ、当たらないだろうと、玉を打ち切ってしまうと、最後の回転で当たりが揃ってしまい、玉が無くてどうしよう?と、うろたえていると、大抵、隣のおじさんが、一握りの玉を私の台に入れてくれて、事なきをえる。

旦那に教わった通り、こういう時は、ひと段落したら、コーヒーを一杯コーヒーご馳走して、お返しをする。

そんな事も、自然にできるようになっていた。

当時はまだ、毎日ホールに通う20代女子なんて、そうそういなかったので、初めはやはり、ヘンに目立ってたと思う。

そのうち、パチプロのおじさん連中にも、行動チェックされるようになってたし笑い泣き

そんな生活を何年か送り、ひどい時には、帰りの交通費までなくなり、旦那と二人、寒空の下1時間歩いて帰る。なんて日も、しょっちゅうだった。笑い泣き


後半は、もうほとんど病気だった。

夫婦でハマっていたものだから、食事も近所のラーメン屋さんや、お蕎麦屋さんで済ませる事が多かったが、二人で納得してたので、それで問題なかった。

たまに、強烈な罪悪感に襲われて、パチンコ以外の遊びをしようとするのだが、結局、二人の趣味嗜好が揃わず、気づけばいつも、二人でホールに行き、そろそろあの台が出そうだ!とか、99%当たるリーチ外された!とか、そんな内容の会話が弾んでいた。


気づけば二人で、100万円ほど、生活費として借金していた。


私が、そろそろ三十路を迎える頃に、長男である旦那に、両親が同居を願いでた。

二人とも、介護が必要な状態だったので、嫌とは言えず、渋々、旦那の実家での同居生活が始まった。

これを機に、私は毎日のパチンコ三昧から、足を洗う事が出来たのだが、また、新たな問題が、私の前に立ちはだかるのであった。


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