今日は土曜保育。5人のこどもたちが登所しました。
○まとめ〜何らかの対象や活動を善悪で分けるのではなく…〜
「ねぇ、漫画作りたい!」と5年生の子が提案。そこで、「せっかくなら、ホームページでどんな枠があるか調べてみようか!」と伝え、こどもたちと一緒に漫画のフレームを探してみました。
早速5人は漫画を描き始めました。普段は元気いっぱいのこどもたちですが、この時は集中して思い思い漫画のフレームにイラストを描いていました。
ここからは3人のこどもたちに着目して、どのような表現が生まれたかをまとめていきたいと思います。
※他の2人も漫画を描いていたのですが、1人は描けた喜びそのままに他の職員さんにプレゼント(優しい✨)し、もう1人は大人顔負けの素晴らしいクオリティの漫画を作成しており、まだ途中だったため「まだ撮らないで〜!」とのことでした。
○効果音を使い4コマ漫画を作成
「ドン」「ガン」という文字から着想を得て1コマ目と2コマ目を描いていました。「もっとみらい」の自分が過去の自分を振り返って懐かしんでいるようにも、ユウカ自身が1コマ目の中学1年生の女の子に自分を投影し「今が辛くても、後々振り返ったら笑い話や懐かしい話になる」と自分を鼓舞しているようにも見えてきて、読めば読むほどその世界観に引き込まれます。文字の雰囲気や4コマを生かしながら「現在」「未来」の区切りと連続性を表すことができました。
○アイドル×ギャグ×バトル〜関わり合いの中で生まれた表現〜
3年生のリンカ(仮名)は1コマ目に「キラッ キラキラ」と書かれた文字を使い、アイドルのような可愛らしい絵を描きました。「このまま、この雰囲気を大切にして続きを描くのだろうな」と思っていると、2コマ目(上段左の縦長の枠)に「ピカッ」という文字を貼り、なんと空から💩が降臨しているイラストを描いたではありませんか…!縦長の枠を生かし、上空からゆっくり降りてきて「スタッ」と着地するまでを見事に表現することができています。
こうしてアイドルのライブ会場に突如として現れた💩と戦うために、アイドルは観客を山に避難させ、自らは変身をして💩との戦いに臨みます。
なぜアイドルがこのような可愛らしいピンク色の丸い姿に変身したのか、そこには後述のこどもたち同士の関わり合いが影響しています。
変身したアイドルは💩に攻撃を仕掛けます。この辺りからリンカは自分で効果音を考えて文字を書いていました。
無事に💩を倒して観客を守り抜くことができたアイドルは、再びライブを始めたのでしたー。
ちなみに右下の縦長の枠、波線のようなものが描かれている部分はエンドロールを表現しているとのこと。アイドル・ギャグ・バトルといった様々な要素や他の子からインスパイアされた表現などが絶妙に混ざり合い、最後の締め方含め映画をよく観ているリンカらしさがキラリと光る作品だなぁと感じました。
○大好きなスマブラから着想を得た冒険漫画
2年生のリョウタ(仮名)は登所後、現在放送中の『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』を観逃してしまったという話をしていました。そこで、漫画を描き始める際にリョウタから「なんかお題ちょうだい!」と言われた時に、「んー、面白系か、それとも『ダイの大冒険』みたいな冒険系だと、どっちが良い?」という2択を提示することに。リョウタは迷わず「冒険系がいい!」と答え、早速制作がスタート。
シンプルで描きやすく、かつリョウタ自身がハマっている「大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL」にも登場していることから、主人公はカービィに決定。「たからさがしに いくぞー」と意気込むカービィが、途中に鍵がある山の頂上を目指すところから物語が始まりました。
実はリンカの漫画にあった「ライブ観客を山に避難させる」という要素や「アイドルが変身した姿」は、このリョウタの漫画からインスパイアされています。すぐ隣で描いていたため、関わり合いの中でお互いの表現が良い響き合いを生み出していました。
リョウタも文字表現を巧みに使っています。4コマ目(右下)の「ドーン!!」は、私が1コマで大喜利的な遊びが展開できるよう用意したものですが、文字のみを切り抜き、敵キャラが出てきたという絶妙なタイミングで用いることができました。
2枚目。敵キャラとの戦いで、カービィは得意の「吸い込み」を使います。この場面でリョウタは「カービィが敵を吸い込む時の音って、どんな感じだろう?」と、ゲームの効果音を真似しながらしっくりくる文字を模索(もちろん自分でオリジナルの文字を考えて書いてもいいよ〜とは伝えていましたが)。やがてリョウタはしっくりくる文字を発見したようで、「フヒィー」という文字と「ゴゴ」という文字を切り抜き貼り付けていました。特に「ゴゴ」は吸い込む音の表現だけでなく、敵キャラと対峙している緊迫感をも表現できている気がして、私も思わず「なるほど〜」と唸ってしまいました。
敵キャラを倒し、鍵は手にできなかったものの、新たにピカチュウが仲間に加わります。鍵を使わず自力で門を開けた一行。ここでリョウタの巧みな表現が光ります。③と書かれた「バンッ!!」「ゴ」「ドーン」という文字だけのコマ、これは門が開いた音を表現しています。イラストを描かずに文字だけで表現したのは5人中彼のみ。ブログに添付できる画像枚数の制限で貼れませんが、あと1コマだけ、その後に出てきた敵キャラから攻撃を受けるシーンで「ギャー」という叫び声を表した手書きの文字と共に「ドン」「ドドン」という文字が貼り付けられていました。
その後の「あれは!?」とカービィが言っているシーン(=敢えてこのページには続きを描かずに次のページに引っ張っている)も含め、リョウタの表現に感心しました。
「あれは?」で引っ張った続きのコマには、カービィの宿敵であるデデデ大王が!この部分のみ、既存の画像を印刷して貼り付けてあります。集中線とカラーの画像の効果が相俟って、自然とデデデに目が行くような工夫がなされています。下の部分、イラストの横に描かれた数字は「大乱闘スマッシュブラザーズ」のバトルで用いられるHPを表しています。
その後、新たな敵キャラからの攻撃を受けたカービィとピカチュウは、一度ダウンしたものの復活。地球を出る決意をし、ロケットに乗り込むことに。
1番下のロケットが発射するコマには4種類の文字が貼り付けられ、加えて集中線が描かれています。きっと彼自身、ロケットの勢いや迫力を出すために工夫をしたのでしょう。このページの1〜3コマ目までは文字情報が少ないことも相俟って、この1コマから伝わるエネルギーに圧倒されます。
このページの後、カービィとピカチュウは宇宙で新たな敵キャラと戦い、やがて地球に帰ってきてハッピーエンドとなります。『ダイの大冒険』から「冒険」というテーマを見つけ、それを真ん中に「大乱闘スマッシュブラザーズ」や彼自身の感性・表現を混ぜ合わせながら(全てのページ分の画像はブログに載せきれませんが)10ページにもわたる作品を完成させたリョウタ。「これは、まだ第1巻だよ!」と話していたため、次巻にも期待したいです。
○まとめ〜何らかの対象や活動を善悪で分けるのではなく…〜
特に保育や教育の現場では、どこか「漫画」「キャラクター」「ゲーム」などがタブー視されている気がします。「絵本は良いけれど、漫画はNG」「リアルな熊は良いけれど、キャラクターモノのクマはNG」などなど…。
確かにこどもたちを一方的に受動的な消費者にせしめる状況、すなわち一方的に情報が与えられ続け、その子自身から発見・想像・創造が生まれないような状況に曝され続けることは避けるべきである考えています。また「知ってる子vs知らない子」「持っている子vs持っていない子」という対立構造に陥るような状況や購買意欲を過剰に掻き立てるような雰囲気を越え、豊かな遊びの〝動き〟へ導くようなアプローチは必要ですし、都度状況を見極める眼と心は不可欠であると思います。けれど、だからといって「漫画」そのもの、あるいは「ゲーム」「アニメ」「キャラクター」「中遊び」などを「悪」「排除すべきもの」と断定してしまうのはあまりに早急過ぎる気がします。
・「漫画」「キャラクター」「ゲーム」が「悪」だとしたら、今回の遊びの〝動き〟も「悪」だったのでしょうか?また、ここで見られたこどもたちの姿は「望ましくないもの」だったのでしょうか?
・例えば、広く「善いもの・こと」として認知されている絵本や外遊びであったとしても「絵本がこどもの育ちにとって善いから、こどもの必然性とは無関係にひたすら座らせて一方的に読み聞かせし続ける」「外遊びが大切だから、こどもの思いを無視してひたすら山歩きをさせる」という形で取り入れられた場合、それでも「善」と言い切れるのでしょうか?このような場面では、こどもたちはオトナの「善かれ」の消費者にさせられてしまってはいませんか?
・そもそも、オトナが一方的に「善」「悪」を仕分けることが、果たして建設的な結論を生み出すのでしょうか?もっというと、何らかの対象や活動を「善」として特権階級を持たせ、その他のものに「悪」というレッテルを貼ることは、果たして対話・協働・共創造的な、民主主義的な未来へと繋がるのでしょうか?
したがって、大切なのは「ある対象や活動を善が悪かに仕分けする」ことではなく、それらがこどもたちの生、文脈、状況などとどのように結び付くかを探求し続け、こどもたちと一緒に未知の活動を生み出していくこと、そして、その中で生まれるこどもたちの変化や育ちを捉えていくことであると私は考えています。
今回はたまたま漫画づくりという遊びの〝動き〟が展開したためこのような内容になりましたが、決して漫画やキャラクター、ゲーム「だけが」大切というわけでもなく、「こういう遊びが『善』」だと主張したいわけでもないことを強調しておきます。
もし今回生まれた漫画づくり遊びの〝動き〟のすぐ近くで、同じように遊びの〝動き〟を楽しむマインドを持つ方々やグループが別の〝動き〟(焚き火やおもちゃ作り、音楽作り、鬼ごっこなどなど)を生み出していたら、自然と新たなコラボレーションが生まれ、「漫画×焚き火×おもちゃ×音楽×鬼ごっこ」などといった新たな〝動き〟が展開していくことでしょう。そんなフィールド、社会、世界だったら、きっともっとこどもも大人も共にわくわくして生きていけるのではないかと考えますし、それを現実のものにできるよう生きていきたいです。
かなり脱線し、かつ鋭い言葉を使った主張をしてしまいましたが、私が長々と書いてきたようなことを自然とやってみせるこどもたちの力ー多様な要素(様々なデザインの文字、ゲーム、キャラクター、過去の経験、友達のアイディア、その場の空気、環境、文脈など)を混ぜ合わせながら新たなものを生み出し続けていくーってすごいなぁと、漫画づくりの〝動き〟を観、振り返りながら感じました。
これからもこどもたちから学び、こどもたちを含む様々な人たち共に遊びの〝動き〟を生み出していきたいです✨