苦しい状況になると大きな声を出してしまうケンくん(仮名)との関わり。きっと言葉にうまくできず、けれど自分の内側からうわぁ〜っと込み上げてくる気持ちを一生懸命表現してくれているんだろうな✨
私が見えないところでモヤモヤしたことがあったようで、我慢できる限界を越えてしまったのか、つい関係がない子に手が出てしまった。状況を確認するために、一緒に遊んでいた男の子たちを呼んで「何か、ケンくんが困っている様子とか辛い状況に追い込まれてしまった場面があったのかなぁ?」と尋ねることに。
私に怒られると思ったのか最初は黙っていた男の子たちだったが、私は全く注意する気はなかったため、それを感じると次第に「そういえばブロックを使いたかったのかも!」「追いかけっこで追いかけられたのが嫌だったのかなぁ?」と教えてくれた。少しずつ男の子たちの表情が真剣に、しかし優しく柔らかくなっていった。
「なるほど〜。もしかしたらケンくんが大きな声を出したり叩いたりするのは、言葉にできない気持ちがうわぁ〜って込み上げてきて、どうしていいか分からなくて『助けて!』っていう状態なんじゃないかって思うんだよね。もちろん、だからといって急に関係がない人を叩くのはいけないんだけど、でもケンくんも苦しいと思うんだ。何かうまくケンくんが苦しい気持ちを吐き出せる方法、ないかなぁ?」と、男の子たちに投げかけることに。
すると4年生の男の子が「そうだ!例えば紙をビリビリしてみるとか?」と提案してくれた。彼も気持ちがうわぁ〜っと込み上げてくる経験があり、表面的な行動だけに着目され周りから注意されてしまう姿を目にしてきた。けれどとても優しい心を持っていて、私が困っていたり悩んでいたりすると、そっと寄り添い真剣に話を聴いてくれる。そんな彼だからこそ、きっとケンくんの気持ちに共感でき、どうやって解消していくか自分なりのアイディアが閃いたのだろう。
彼の言葉を聞くや否や、「紙、持ってきたよ〜!ゴミ箱に捨ててあった紙ならビリビリにしても良いよね?」と1年生の男の子が数枚使い終わった紙を持ってきた。男の子たちは早速、紙で一生懸命作ったカッコ良い剣を持っているケンくんの前に紙を差し出し、「これ、剣で『おりゃー』って破ってみて!」と伝えた。みんな固唾を呑んでケンくんの次なる行動を見守った。
するとケンくんは勢いよく剣を振りかざし、1年生が両手で板割りのように持っている紙を叩き割った。「おぉ〜!」とみんなで感激。「まだあるよ〜!」と、次々にわんこそば形式で紙が用意され、ケンくんはどんどんと紙を叩き割った。次第にケンくんは普段通りのニコニコ笑顔に。最終的に紙がなくなり、男の子たちはそこら辺にあったダンボールの切れ端を構えてケンくんの「剣技」を受けていた。アイディアを閃いた4年生の男の子、彼を助けケンくんを温かく見守った周りの男の子、そして新たなモヤモヤの発散方法を見出したケンくん…みんな素敵✨
世界に1人だけのケンくん。「ケンくんのモヤモヤの根源は何か」「ケンくんが安全・安心な形でモヤモヤを表現できる方法はなんだろう」という問いに対する「正解」は、どの「マニュアル」にも載っていない。私の仮説もあくまで私自身の主観的なものだし、今回こどもたちが考えたアプローチも、もちろん「万人に通ずるもの」ではない。
しかし、こうして「いま、ここ」を生きるこどもや状況を真ん中に未知や不確かさに満ちた問いを対話し合うプロセスの中で、周りの子たちや私自身の感性やアプローチを持ち寄り、ケンくんと響き合うような働きかけが生まれていった。それを生み出したこどもたちと私、そして対処法を1つ学んだケンくんとが共に考え、育っていったと言えるだろう。
「大きな声を出したらダメでしょ!」という「個」を抑えつけるようなアプローチを越えて、「未知」や「不確かさ」に満ちた問いを真ん中に据えることで、「個」の学びや育ちと「集団」の学びが共に生まれる…そんなことを感じることができた一場面だった。