外ではこどもたちが職員さんと本物の竹を切って竹とんぼ作り。こどもたちはのこぎりを使いながら、「ここの印を切るんだよ」「切るのうまいなぁ!」などと声を掛け合っている。切り落として不要になった竹をもらった男の子は、それを太鼓代わりにしてお囃子のリズムを刻んでいた。
部屋の中では、あちらでは板状の積み木を使ってビー玉を転がすための装置作り。工作が得意な若手職員さんも加わり、いろいろな仕掛けが出来上がっていった。
こちらでは職員さんがこどもたちと一緒に段ボールを細長く切って折り曲げていた。何をするのかと思ったら、Lの字型になったたくさんの段ボールに息を吹き掛けて何個倒せるかという遊びが展開。こどもたちはLの字型の段ボールに顔を描いていった。
突然始まるけん玉大会。集まった子たちは夢中になって大皿・小皿に入れようと練習している。「紙、ちょうだい!」と言った男の子は、メンバーの名前と競う競技を書いていく。今度は「折り紙ちょうだい!」。何をするのかと思ったら、1位から3位までの人に向けてメダルを作るようだ。なんて優しいのだろう。
お迎えに来た、けん玉が得意な保護者の方に「今、みんなで練習しているんですよー!技を教えてあげてください!」と私からお願いをしてみた。快く引き受けてくださった保護者の方からの「膝を曲げるといいよ!」「手をあまり動かさないでね」というアドバイスを受けて、こどもたちは、めきめきと上達。それまでは乗らなかった皿に玉を乗せることができるようになった1年生の男の子は、その後お迎えに来た保護者の方1人ひとりに技を披露し、成功すると誇らしげな笑顔を見せていた。
「ケーキ屋さん」でも「レストラン」でもなく、敢えての?「さかなやさん」(食べたい魚を紙に書いて注文するというシステム)をおままごとで開いた女の子たちからお客さんになって欲しいと呼ばれる。いつものように「ゆーだいのは毒入りね!」「この食べ物もお皿も熱々なの!」という設定に沿って、いつも通り?毒を食べて倒れたり、「熱い!熱い!」とオーバーリアクションしたりしてこどもたちと笑い合った。この日は、普段おとなしく1人で遊ぶことが多い男の子をお客さんの仲間として誘ったところ、ギャグを連発し、トリックスター的な役割を担い、笑わせてくれた。女の子たちは「もう!ふざけないで!出入り禁止!」とその子に言いながらも、決して仲間外れにすることなく、なんとなく遊びは展開し続けていった。
金曜日だから、学童で宿題をやるかどうかはこどもたちが決めて良い。「先に宿題をやってから遊ぼうね!」という職員の声は、今日は聞こえない。「週末は遊びたいから、今日中に全部宿題を終わらせる!」と意気込んだ何人かのこどもたちは、静かな図書室で、仲間同士で宿題を進めていた。本を読みたい子は寝転がりながら読書。最近学童保育の中でプチブームになっている『名探偵コナン』の漫画を学校の図書室で借りてきた子たちは、隠れ家的なスペースで読み合いながらワイワイ盛り上がっていた。毎日こんな感じがいい。宿題がなくなれば良いのにと思っているのはこどもだけではなく、私も、もしかしたら他の職員もなのかも知れない。
決められたプログラムでも、タイトな時間割をこなすのでも、右向け右の活動でも、大人がギャンギャン指示を出すのでもない。
こどもたちが自分たちの意思で遊びや活動のグループをつくり、それに自然と職員や保護者の方々も加わっていき、誰が偉いとか誰がリーダーとかいう上下関係、主従関係もなく、「楽しい」「面白い」「心地良い」「ホッとする」などの情動を真ん中にして、緩やかに、建設的に、即興的に繋がっていく…。これが放課後の時間の醍醐味なのではないかと思う。
そして、その中で生まれた活動の様子や、そこで見られたこどもたちの表情、成長を捉え、それを意味のあるもの、大切なものとして認識し、保護者や社会へと発信していくことが、放課後の時間に携わる人の役割なのだろうと考える。自分ができているかというと、まだまだなのだけれども。
良い意味で賑やかで、良い意味で混沌としているこんな時間が、自分が勤務している学童保育でも、広く日本社会の中でも、当たり前で自然な光景になったら良いなぁと、何気ない学童保育の一場面から考えた。