前回のブログ(https://ameblo.jp/yokomeyagi19/entry-12448621397.html)に引き続き、コミュニティー・スペースでのまち歩き企画の際に撮った写真のカードを通して、2人の小学2年生の女の子たちが発見や問いを深めていく様子を記事にしました📝
⑤まとめ〜こどもたちが語った言葉から〜
今回は、「ねじれっ木」の愛称で親しまれているビャクシンの木の写真を見て問いや仮説を深めていき、最後にまとめとなるような呟きが生まれた場面✨
①幹がねじれた不思議な木の写真を発見💡
幹の部分が見事にねじれています😳
この写真を見て、2人の女の子たちは語り始めました。
「これ、1番不思議!なんでねじれてるんだろう?」
「普通は、(幹が真っ直ぐに)スッと立ってるのに!」
「なんで、葉っぱ(が付いている枝の部分)はねじれていないんだろう?」
「他の木は、ねじれてないのに…」
「風が吹いてねじれたのかなぁ?」
2人が知っている、そして我々も「普通」だと思っているであろう「スッと立って」いる木と対比させて、なぜねじれているのかを考え始めました。
「風が吹いてねじれたのかなぁ?」という呟きをきっかけに、2人はさらによく見て、面白い仮説を立て始めました✨
②雑巾が木になった?
「なんかこれ、雑巾みたい!」
「ホント!雑巾をねじり過ぎて、それが大きくなって木になったんじゃない?笑」
「上と下では、(幹の)太さが違う!きっと細いところは雑巾の水が抜けていて、太いところは水が抜けないまま木になったんだよ!」
木の形状から雑巾を連想した2人😳
幹の太さの違いにまで目を向けることができました💡
水を含んでいる部分は太く、水を絞りきった部分は細くなるという発想は、2人の生活体験がしっかりと反映されているように思います😊
③「正解」って、何?
「でもさ、これって『正解』は何なんだろう…」
「私たち、いろいろ言ってるけど、これって『間違い』なんじゃない?」
「…」
それまで、夢中になって話していた空気が、ちょっと重たくなりました。
私も、話が盛り上がっている部分では2人の呟きをメモしていたのですが、この部分はメモを取らずに話したいと思い、この木がある神社の由来とともに2人にこんなことを伝えました😊
「『間違い』なんてないし、こうやって想像できることがすごく素敵だと思うよ✨昔の人も、民話っていって、想像を膨らませていたんだ。この木がある神社にも民話があるんだよ。昔、漁師が川で魚を捕ろうとしたんだけど、何度も何度も同じ光る石が網にかかったんだって。不思議に思い、その光る石を神様にしたのが、この神社だって言われてるんだよね。想像を膨らませてみると、また違った見方ができて面白いんじゃないかな😊」
2人の表情が柔らかくなり、目に先程までの輝きが戻ってきました✨
④新たな「民話」の誕生✨
そして再び、2人は話し始めたのでした😊
「ねぇ、もしかして、木がねじれたのは、その光る石の力があったからじゃない?」
「そうだ!光る石の光が反射してねじれたんだよ!」
「やったぁ!〝雑巾説〟から抜けたね!」
こうして2人は、また新たな「民話」を創ることができました✨
私が伝えた民話の内容を取り入れながら〝雑巾説〟から〝光る石の光、反射説〟へと進化・深化した2人の想像力。きっと昔の人も、様々な自然現象を、周囲のものやこれまでの知識・経験と結びつけながら、2人のように民話を創っていたのかも知れません。
⑤まとめ〜こどもたちが語った言葉から〜
ここで2人は、私が促したわけではなくとも、自然とこんな言葉を語ってくれました😊
「普通に見ているものに、こんなに謎があったなんて!」
「細かく調べてみると楽しい!」
「私には関係ないと思っていると見過ごすけど、こうやってよく見てみると、たくさんのことがわかるね!」
「別の(写真や本物の史跡)も見てみたい!」
素敵ですよね‼️
本当は実際に写真の場所を訪れて、実際に見て・感じて、さらにイメージを膨らませることができたら良かったのですが、時間の関係でそれはかないませんでした。いつかやってみたい…。
前回のブログに書いた部分で、2人が「頭がぼーっとする」ような「勉強」と「頭がめちゃくちゃ回る」ような学びとを対比させていた場面について書きました。
その違いについて考えるにあたり「私には関係ないと思っていると見過ごす」という言葉がキーワードになるのではないかと思います。
自分の「生」(生活観や人生観)から切り離されたところからスタートし、外側から決められた「ゴール」や「評価」がある=「生」が入り込みにくいような質の「勉強」では、確かに「私には関係ない」という思いになり、「頭がぼーっと」してしまうことでしょう。
しかし、学び手が自らの「生」と結びつけることができるようなところからスタートし、それぞれの「生」が混ざり合うことによって新たなものや価値観、文化などを創造していくような質の学びの中では、必然的に「頭がめちゃくちゃ回る」という状態になるのだと思います。
そして、「普通に見ているもの」からたくさんの「謎」を発見できたり、「別の(写真や本物の史跡)も見てみたい!」というさらなる関心へと繋がったりしていくのではないでしょうか。
もう少し時間があれば、実際に調査し、「わかったことを誰かに伝えたい!」という思いが膨らんで何かを創るというところまでいけたら良かったなぁ。
今回、間接的ながら地域の方々とのまち歩き活動と、こどもたちの学びとを結ぶような活動をし、そこから私自身もこどもたち同様「頭がめちゃくちゃ回る」体験をすることができました😊
これからもこのような学びをこどもたちと一緒に創ることができるよう、私も探究していきたいです✨