冬休みに入り、朝から学童保育に来ているこどもたちと公園へ😊
小学1〜3年生の男の子5人ほどで、木の棒を剣や鉄砲などの武器に見立て、遊具を城にして遊んでいました✨
「ここはオレの部屋ね!」
「じゃあ、オレはこのピンクのところ!」
「黄色のところは温泉で、ここがエレベーターで…」

最初は私が侵入者ということで、木の棒の鉄砲を乱射されまくっていたのですが、次第にこどもたちの間でストーリーが展開。
先ほどまで城だった遊具は、やがて宇宙へと飛び立つロケットへと見立てられました🚀

ロケットに乗って行き着いた先は、恐竜たちがいる世界🦕

凶暴な恐竜たちからみんなを守るべく、武器を持って公園中を歩き回りました。

「トリケラトプスがいるぞ!」
「首長竜、ブラキオサウルスだ!」
「太陽みたいな隕石が落ちてくる!」

興味深かったのが、もはや城なのかロケットなのかホテルなのかわからなくなるほどたくさんの見立てが生まれた遊具に「ティラノサウルスがいるぞ‼️」と1人の子が言った場面。

ティラノサウルス=凶暴だというイメージからか、攻撃を仕掛けるための作戦を考えるという遊びの流れがしばらく続きました。

すると、ある子が
「でもさ、ティラノサウルスのお腹に赤ちゃんがいたらどうしよう?」
と呟いたのです。

一瞬の間。そして、それまでの「いかにしてティラノサウルスの口を開け、その中にミサイルを撃ち込むか」で盛り上がっていた遊びの流れがグッと変化しました。

「赤ちゃんを育てる場所があるといいね!」
「でも、ティラノサウルスは肉食だから、オレたちも食べられるんじゃない?」
「そうならないように、今のうちからオレたち人間の顔を見せて慣れさせよう!」
「名前を付けたほうが良いんじゃないの?」
「オレたちがいつか死んでもティラノサウルスが生きていけるように、狩りの練習ができる部屋を作ろう!」
「エサを探さなきゃ!ここ、さっきまで温泉だったけど、やっぱり魚がいるプールにしよう。」
「自然に近いほうが狩りの仕方がわかるから、ここまでは池で、ここまでは草原にしよう!」


上記の記述は、この見立て遊び・ごっこ遊びのほんの一場面です。実際には、約1時間半という長時間に渡ってこの遊びが続きました。ここまで続くなんて、すごいですよね😳✨

細かく振り返ると、ここには描写しきれないほど無数の、ある子の提案みんなの同意新たな意味・ストーリー形成遊びの進化・深化ある子の提案→…というやり取りが繰り返されていました。

当然と言えば当然ですが、即興の遊びにはドラマのような筋書きなど用意されていません。「ジュラシックワールドのような恐竜の世界に行く」という場面設定はスタート時点では決まっておらず、その中で「ティラノサウルスをやっつけるか、保護して育てるか」という選択肢など私も含めその場にいた誰もが予想できなかったはずです。

だからこそ、「マニュアル」や「正解」がない、ある意味いつ破綻してもおかしくない(「こんなのバカバカしい!」「やーめた!なぁ、あっちでサッカーしようぜ!」「恐竜なんているわけないじゃん!」などと言って終わらせることは、いくらでもできたはず)不確かさの中で遊びが生まれ、展開し続けた関係性・やり取り・動きってすごいなぁと思ってしまうのです😌✨


きっとこれからは「正解」や「マニュアル」をインプットーアウトプットするような学習観・能力観からの転換が起こっていくことでしょう。

インプットーアウトプットの力ならAIが取って変わっていく。そのような世界でも、それぞれが持っているアイディアを共有し、組み合わせ、そこから今までなかったような新たなもの・考え・仕組み・価値観などを生み出すことができるのが人間ならではの強みなのではないかと思います(『ハイ・コンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』(ダニエル・ピンク、2006年)参照)。

見立て遊び・ごっこ遊びを展開するこどもたちを見て、こんなふうに学びが・社会が・世界が動いていったら良いなぁと、1人感激していました😌