昨日、学童にゲストの方が来室してくださり、こどもたちと「酋長ボンバボン」で遊ぶ時間を設けました…というよりも、こどもたちが「一緒にやろう!」とゲストの方に声をかけていました😊
「酋長ボンバボン」については、前回のブログ(http://ameblo.jp/yokomeyagi19/entry-12355013094.html)をご覧いただけたらと思います♫
前回遊んだだけですっかりルールを覚えたこどもたち😳
前回は男子が中心でしたが、今回は小学1・2年生の男女が入り混じってゲストの方と盛り上がっていました‼️
カードの配置の仕方もバッチリ‼️
正しいルール通りに並べることができています😊
もし、このカードのリズムが叩かれた場合、このカードを《ピシャリハンド》で押さえるのが1番遅かったプレイヤーは、獲得したカードから1枚山札に戻さなければいけません😱
でも、こどもたちは上のような並べ方をし、デメリットルールが自然と削除される形になったのです😳
最終的に、山札をなくしてカルタそのもののような並べ方をしていました(私も夢中になって遊んでいたので写真はないですが笑)‼️
この行為をどう捉えるか。
ゲームのルールという構造を重視するなら、これは「間違い」であり、「違うよ!真ん中にイノシシのカードを置くんだよ!」と伝えるような声かけが真っ先に頭に浮かぶでしょう。
けれど私は、
遊びとは動きであり、その時々の関係性の中で流動的に展開していくものだと考えています。
今、電子辞書と翻訳機能を駆使しながら、地道に「特異性理論」を勉強しています。
これは、従来の言語的な解釈を重視する精神分析理論(既に出来上がっている理論の枠組みの中でクライアントを診断し、分析者が語る「あなたのこの症状は、◯◯が原因ですね」という解釈にこそ治療効果があるとみなす)とはまた違った視点から、
特定のクライアントと特定の分析者とが織り成す相互交流的な関係性のプロセスの中に治療効果があるのではないか、と考える理論です。
ある場合においては治療効果を発揮したものが、他の場合においては必ずしも治療効果を発揮するとは限らない。そのクライアントと、その分析者との、その文脈の中で「至適な応答性 optimal responsiveness」…分析者の一瞬一瞬の注意深さによって治療効果のある応答…が生まれるという旨、Howard A.Bacalは主張しています。
「特異性理論」は心理学の領域の理論ですが、
遊びについても、
・既に出来上がったもの=ルールやマニュアルの中で生まれるもの=到達すべきゴールを想定し、直線(リニア)的に進んでいくものとして捉えるのか、
・不確実な部分、未決定な部分、余白があるもの=その時々の遊び手たちの関係性のプロセスの中で生まれる、非直線的(ノン・リニア)的に展開していくものとして捉えるのか
で、大きく意味合いが変わってくる気がしています。
もちろんマニュアルやルールがないと崩壊してしまうため、それらを否定するわけではありません。
ただ、今回の「酋長ボンバボン」のカードの並べ方を「ルールと違う!」と否定するのではない視点から捉えることで、
「こどもたちとゲストの方との関係性の中で、よりお互いがフィットし、わくわくするような、既存のマニュアルやルールを越えた〝何か〟が生まれた✨」
と考えることができるのではないでしょうか😊
大切なのは、WhatだけでなくHowの部分も捉えていくこと。
何を与えるかももちろん大切ですが、おもちゃやモノを与えて終わりではなく、どのように遊ぶか、どのように遊び方を膨らませるか、どのようにこどもと共にあり、どのように遊びを捉えるかという部分も大切だなぁと改めて感じました✨
【参考文献】
『The Power of Specificity in Psychotherapy』Howard A. Bacal、2010年、JASON ARONSON