ある日、ブロックで遊ぶ小学1年生のこどもたち😊

「見て‼️ボート作ったんだ‼️」

と嬉しそうな表情を浮かべていました☺️

そして、こどもたちは積み上げられた本を山火事に見立てて

「ばっしゃ〜ん‼️」

と言いながら〝消火活動〟をし、色鉛筆をばらまいて崖崩れに見立てて〝落石除去活動〟をしていたのでした✨

遊びの世界の中で本や色鉛筆が変身していくもの=おもちゃとして位置付けられていることが面白いなぁと思いました😳
そして、そのような見立てを生み出し、遊びとして展開させてゆくこどもたちの想像力・創造力に感動しました😊✨


ここから、すこし難しい話。


『遊びー遊ぶ主体の現象学へー』の中で、ジャック・アンリオはおもちゃについて

「遊びはものによってではなく、ものをどう使用するかによってなりたつのである」

と述べています。

つまり

「遊びの具体的な実在性は、やはり、遊び手がおもちゃをどうもてあそぶかという、多くの場合予想外のおかしい使いかたとして実現される」

のであり、おもちゃ有りきではなく、まずもって遊ぶ主体の在りようを捉えることが大切ということになります。


私がおもちゃ売り場でアルバイトをしていた時のこと。100円を入れると遊ぶことができ、景品としてヒーローのカードが出てくるゲーム機がありました。
そのゲームの大会(上位に入賞すると限定のカードがもらえます)を開催したことがあるのですが、印象的だったのが1組の親子。お父さんと男の子でした。

男の子は確かにゲームをやっているのですが、目を潤ませながらこわばった表情でプレイし、時折後ろを振り向いていたのでした。

男の子の視線の先には険しい表情をしたお父さん。息子のカードの選択やボタン操作に対して、逐一首を縦に横に振って合図を送っています。

対戦相手の子は、楽しそうに(カードの選択もボタン操作も素早く、時折「イェーイ!」などと声をあげる)ゲームしているのとは対照的に、
背後にお父さんがいるこの男の子は、見ていてこちらまで辛くなるほど。私も似たような経験が小学生時代にあるので、「これは辛過ぎる…。このあと、きっと家に帰る車中や家に帰った後まで、この男の子はお父さんから嫌味を言われたり怒られたりするのだろうなぁ。険悪なムードが続くんだろうなぁ…」と、痛いくらい男の子の苦しみが伝わってきました。


「行なっている内容だけで見ると」、確かにこの男の子はゲーム=遊びをしています。
それは、冒頭であげたブロックでレスキュー隊ごっこをし、本や色鉛筆を何かに見立てているこどもたちと変わりません。

けれど、

果たしてこの2つの事例を、同じ「遊び」として捉えてしまって良いのでしょうか。

少なくとも私は、

◯「遊び手がおもちゃをどうもてあそぶか」という幅、裁量の広さが違う
・一方は、見立て遊びができるだけの「どうもてあそぶか」という幅を持っている(それが許されるだけの環境や周りの人の雰囲気がある)

・もう一方は(ゲームなのでもちろん選択肢は限られているが)本来それなりに選択肢の幅が広いにもかかわらず、「どうもてあそぶか」が遊び手に許されていない(お父さんの指示が絶対、それからはみ出すことは許されない)

そして、何より

◯遊び手が心の底から遊んでいるのかどうか、伝わってくるものが違う
…それは、表情や動作などから伝わってくるもの。乳幼児精神医学の研究者であるダニエル・スターンが「生気(Vitality)」という言葉で捉えているものの伝わり方が、ブロック遊びをしているこどもたちと、お父さんを背後にゲームをする男の子とでは全然違う。

という2つの点で「遊び」と一括りにはできないなぁと思っています。

増山均先生は

「おとなの側が一所懸命遊びのプログラムをつくって子どもと遊んだあとに、子どもたちが近寄ってきて『これからみんなで遊んでもいいですか』と言われたという話を耳にします」

とおっしゃっています。

「おとなは子どもたちが楽しそうに遊んでいると思っていても、子どもにとって、その活動は遊びではなくて遊ばされていた」

という事態は、残念ながらよくありがちだと思います。


こどもたちが本当に生き生きする遊びの場面をどうやって創り、守っていけば良いのだろう。

内面的なレベルまで考えながら、不確かさや誤謬の可能性を十分に含みながらも遊びを捉え続けようとする姿勢をどう持てば良いのだろう。

まだまだ、ゆーだいの研究は続きそうです📖✍️️


【引用文献】
・『遊びー遊ぶ主体の現象学へ』ジャック・アンリオ 著/佐藤信夫 訳、白水社、2000年

・『「あそび・遊び」は子どもの主食です!』増山均 著、特定非営利活動法人子どもと文化のNPO Art.31、2017年

・『FORMS OF VITALITY』Daniel N. Stern、OXFORD UNIVERSITY、2010年