昨日の講座で学んだことの2つ目として、
「概念的・コンセプチュアルな問い」ということがあります😊

こどもとのかかわりの中で、
「これは何色?」
「ここに描いてあるものは何?」
「1867年に何があった?」
など、考えるまでもなくこどもが即答できるような問いを投げかけてしまうことがあります。

けれど、それは良い問いとは言えない。
なぜなら
「知っているものから引き出す」以上の思考が働かないから
です。

最近読んでいる本の中で、これまでの社会は、いかに情報を持っているか・知っているかという左脳の働きが重視されるものだったと書かれていました。
いかに知識を覚えているか、いかにそれをアウトプットできるか…だからこそ、○か✖︎かのテストで測られ、数値化し序列されるような「学力」が主だって取り沙汰されていました。

しかし、講師の先生が「毎回同じ神経回路を通ると、森を毎日歩き続けると道ができるように、その神経回路だけが強くなる」とおっしゃっていたように、
何らかの覚えたことを素早く記憶から引き出し即座に答えることはできるかもしれないけれど、

それを超えた問いに直面したときに参照する知識がなく、すぐさまフリーズしてしまいます。


これからの時代は、ダニエル・ピンクが述べているように、
情報の時代から「コンセプトの時代」になっていくようです。
そこでは、「正解」のない問いに対する創造性や、人々と共感的に手を取り合うことが重要になります。

「概念的・コンセプチュアルな問い」とは、
例えば
「なんで電車って、たくさん人が乗っているのに潰れないんだろうね」
「もし恐竜が宇宙に住んでいたら、どうなっていただろう」
など、インプット・アウトプットでは解答できないような問いです。


こどもたちがコンセプチュアルな問いに取り組む場面では、こどもとともに歩む大人の在り方は、従来のようにこどもの上に立ち知識を教えるというものでは成り立ちません。

こどもたちは、自分たちなりの理論を立てて検証し、いくつかの事実をつかみ、再び新たな理論を立て…というように、考えては挑戦し、また考え…を繰り返すことになります。
その過程を意味のあるものとして受け止め、ともに歩んでいくような姿勢が我々大人には求められるのだろうと考えました。


少し前ですが、学童の夏祭りで みんなを笑顔にするためにカード屋さんを開きたいと言っていた子がいました😊

その子は、大好きな車の絵を、とても丁寧に描いていた。
もしかしたら、車の絵を描いて褒めてもらえた経験から、「オレの大好きな車なら、みんな喜んでくれる‼️」という彼なりの理論を導き出したのかも知れません。

しかし、次々と「一緒にやろう‼️」と仲間に加わろうとする子たちが増えていくのでした😳
彼は、時には拒絶したり対立したりしながらも、おそらく自分の中で何度も「車だけではダメかも知れない!」「拒否しようか?」「仲間に入れてみようか?」と理論修正をし、

「車や魚、恐竜など、仲間が好きなものを取り入れたカードを作ろう‼️」
という新たな理論を生み出したのでした✨

しかし、さらなる事実が彼に向かって来ます。
それは女の子からの
「可愛いのが好きな子も来るから、もっと可愛いカードも作ってみたらいいよ😊」
という意見でした😳

なんて的確‼️
これまでは、私が女の子と同じように「もしかしたら可愛い絵が好きな人も来るかもよ?」と投げかけても
「男しか来ないから、これで良いんだ‼️」
と頑なにコンセプト変更をしようとしなかった彼ですが、
この女の子の発言を理論を再び修正しなければならない事態に直面したのでした💦

けれど彼が立派だったのは、
すぐさまその意見を受け入れ、
それまで私が見た限りでは描いているところを見たことがない、猫やお花などの可愛らしい絵を、仲間を巻き込んで描き始めたのでした✨

こども同士だからこそ響き合うものがあったのでしょうか😊

こうして、たくさんの絵が並んだ素敵なカード屋さんが誕生したのでした✨✨


「来る人をたくさん笑顔にするためにはどうしたら良い?」
という問いに対して、私は一意見程度なら提案できても、その問いに対する唯一絶対の正解など持ち合わせていません。
というか、唯一絶対の正解などないという前提からスタートしていきます。

コンセプチュアルな問いの前では、「私のほうが長い年月生きてきたから、この意見が正しいんだ!」という大人の自信は、かえって邪魔になるので捨ててしまったほうが良いです。

そんな難しい問いに対して、
懸命に自分なりの理論を立て、事実と向き合い、新たな理論を生み出し…を繰り返して、よりレベルアップしたカード屋を生み出した彼のような姿勢こそ、これからの社会の中でよりよく生きていく人の姿なんだなぁと感じました😊✨



【参考文献】
『ハイコンセプト〜「新しいこと」を考え出す人の時代』ダニエル・ピンク 著、大前研一 訳、2006年