今日は、レッジョ・エミリアなどの理念を取り入れた実践を通して21世紀型教育について考えるシンポジウムに行ってきました。
これからは情報社会からコンセプチュアルな社会へと転換していき、従来の
「知識を教え込む教育」ではないものが必要なのだと痛感‼️
「コンセプチュアル」について、まだ自分の言葉になりきれていないため、本を読んで勉強してみたいです📖
昨日、ぼんやりテレビを観ていて面白かったのは、某チャンネルで「おバカ決定戦」の番組をした後に続き、
提示されたあるテーマや写真・動画に対していかにウィットに富んだ答えができるか即座に考えて笑いに誘うという大喜利的な番組がやっていたこと🖥
今回のシンポジウムを聴いて、この2つの番組を対比させて「こういうことかな〜」なんて考えていました。
○前者の「おバカ決定戦」番組
・進行役の立ち位置…先生として、生徒役の人たちのテストを採点、評価、「正解」とのズレを拾ってネタにする。
・回答者役の立ち位置…生徒として、テスト問題を解く。
・回答者に求められるもの…「正解」を導き出す。終了後に1位から最下位までランク付けされ、最下位は「おバカ」認定される(ある意味「おバカ」認定されるのも芸人としては「おいしい」のかもしれないが)。
・番組全体の編集…テストに取り組んでいる場面はほぼダイジェスト。いかに「正解」からズレているかという「おバカ解答」をメインに取り上げる。結果に重きが置かれる。
・視聴者のスタンス…「おバカ」さを笑う。場合によっては嘲笑に近い笑いが生まれる。
○後者の大喜利的な番組
・進行役の立ち位置…「チェアマン」という立ち位置ではあるが、別のモニタールームから参加者を観察。モニターでツッコミを入れつつ、その場で指導や直接的な採点はしない。合間で自身も一参加者として「自分ならこう答えるかな〜」というアイディアを出すが、それは「模範解答」というわけでもない。
・回答者の立ち位置…評価はされるし勝敗もつくが、1つの「正解」があるわけではない。したがって、チェアマンや参加者同士の中で優劣があるわけではなく、全員がフラットな立ち位置。
・回答者に求められるもの…提示されるお題や写真、動画に対して、ウィットに富んだ答えを導き出す。特定の「正解」がないため、自分の感性や他の回答者の発言を参照しながら、より面白い回答を模索、探求する。
・番組全体の編集…編集されている部分もあるが、考える時間も含めて放送。次々と回答されるリズミカルな部分や、逆に悩んで間が生じることもある。
・視聴者のスタンス…リアルタイムではないものの、回答者と同じお題を考え、それに対する回答を応募することができる。「そんな答え方があったか!」という、スッキリした笑い。
あくまで完全に私の主観による比較と考察なので番組評価ではないのですが、
知識や情報をいかに記憶し「正解」を即座にアウトプットする左脳的な「勉強」には、
・先生と生徒、
・正解と不正解、
・天才とおバカ
という明確な二項対立が存在し、
「正解」がそもそもない問いに直面→複合的な視点やひらめき、感性、他者のアイディアに共感する力などを混ぜ合わせながら新しいものを創り出していくような学びには、
・全員が対等な参加者、
・複数の価値観(「正解」はないかもしれないし、複数あるかもしれない)、
・みんなが模索・トライアンドエラーを繰り返す存在
という構造があるのかなぁ、なんて考えました😌✨
変わっていく時代の中で、こどもたちが「正解」のない問いをともに学び合い育ち合う機会を大切にし、私自身もこどもたちとともにワクワクしていきたいなぁと思います😊