前回のブログの続きになります📝
前回は「FEAR」という言葉を紹介し、
だんだんと大人になるにつれて、人は「FEAR」を抱くようになり、この「FEAR」があることで、こどもと大人との間に遊びが生まれるのを妨げてしまうと書きました😌
今回は「FEAR」の対局にあるものについて紹介し、こどもとの間に遊びが生まれるような大人の条件について考えたいと思います✨
「Unknowability」
という言葉を用いられていました。
Unknown…知らない、わからない
というと、わりとネガティヴな意味合いとして受け止められがちです。
特に、何かを手に入れる「Get」に重きを置く人に取って、知らないこと、わからないことは、それだけで「FEAR」へと陥ってしまいそうです😣
しかし、それにabilityという語を付け足すことで、そこに可能性だとか、知らないことによるポジティブな部分が見えてきます✨
本当に素敵な言葉だなぁと感じました。
ホルツマン先生は
「こどもは、知らなければいけないことを知らないから美しい」
という旨の言葉を仰っていました。
「ねばならない」に凝り固まっていないからこそ、思いもよらないようなことをやってのける。
そう、そもそもこどもたちの遊びは「Unknown」に満ちたものであり、したがって大人がコントロールし得ないものなのです。
故に、大人はしばしば「FEAR」を感じることになります。
「こんなことして大丈夫?」
「今こどもがやっていることに何の意味があるのか?無意味に見える!」
「この先どうなるのかしら?」
「展開が読めないから、こっちの遊びに誘導してみよう」
という葛藤、きっとこどもと遊ぶ中で抱いたことがあるのではないでしょうか。
しかし、その「FEAR」がこどもとの遊びの妨げになってしまうことは、前回のブログで書きました。
「FEAR」を取り除き、大人の側が「Unknowability」を持つことができれば、こどもと大人とが共に遊ぶことができるのかも知れないと考えました😌✨
Unknowability…
個人的には
・不確かさを楽しむ能力
・不確かなプロセスにステイできる能力
・「わからないから面白い」と思える能力
・「この先、どうなっていくのだろう」と、こどもと共にワクワクし合える能力
と訳したいところです😊
でも「Unknowabilityが大切だから、持ちましょう」と言われたところで、なかなか難しいと思います。
「どうやってUnknowabilityを持つの?」
「そもそも、こどもと遊ぶことで大人の側に何か意味があるの?」
と思ってしまうことでしょう。
そこで次のブログでは、私なりの考え、今後の展望などを書いていきたいと思います😊📝