前回のブログで、主観的に記録・記述を書くことの意味や役割について投稿しました📝

今回は、私自身が記録・記述によって変化していった様子について書いていきたいと思います😊


⭐︎記録を書き始めた頃
ルーズリーフ2枚くらい。子どもの名前が書いているためそのものをアップできませんが、内容は次の通りです。

室内:ドラえもんすごろく…A君とやっていた。数を一緒に数えて進むことで遊び方を伝えた。
後からB君が入った。ルールを次々と作っていった。なるべく『面白いね〜!!』と評価し、ルールとして良さそうなものは採用した
B君がA君にすごろくの進み方を教えていたが、口調が厳しく、A君が泣いてしまう場面も…。


これは、放課後の子どもたちとかかわるフィールドでアルバイトを始めて3回目の記録です。
そもそもこの日に記録を書こうと思ったきっかけとなる出来事がこの場面以外のところであったのですが(後日ブログにまとめます)、

今回ピックアップした部分は、全体的に「私」という存在の主体性が薄い気がします。

淡々と客観的な事実が書き連ねられており、
何より太字下線で書いた「評価」「良さそうなものは採用した」という言葉からは、子どもから分断された評価者としての姿しか見えてきません。
すごろくを通して学びに繋げること自体は大切なことだと思いますが、「放課後」の時間でありながら、過度に「先生」であろうとしているぎこちなさを感じます。

そんな状態だった私ですが、子どもたちとのかかわりの様子を記録・記述することで、だんだんと変化が出てきました。
長くなってしまうので、続きは次の投稿にしたいと思います😌