
プラハのカレル橋からプラハ城を見たところです。
人生は様々な出来事が転機となります。結婚出産、別れもあるかもしれない。仕事、子育て、親。自分以外の事に費やす時間が圧倒的に多い。
環境の変化を除き、間違いなく私の人生が変わったのは2011年です。
この年の3月11日に東日本大震災が発生しました。津波等の災害の悲惨さはご存知の通りです。外国からみた東日本大震災目線では、直後に福島の原子力発電所の水素爆発がありそちらの対応が注目されていました。あの爆発映像がメディアで流れて以降、日本にいる海外の要人は自国へ避難するように通達が出ました。成田空港は日本を出国しようとする外国人で混雑していたそうです。
その頃、私はプラハの女性と仕事を通じメールで近況を連絡し合う友達になり、プライベートについてもよく連絡し合っていました。メールのやり取りからも聡明で、素敵な自立した女性である事は分かっていました。
チェコはかつてチェルノブイリ原発事故で放射能汚染に悩まされた歴史があり、彼女は福島で起きた水素爆発から受ける健康への影響を心配し、再三私の子供たちの為に申し出をしてくれました。
『とにかく1年は東京を離れた方がいい。プラハにゲストルームを持ってるから一年間こっちにきたら?』と。本気のオファーです。喉から手が出るほど行きたかったけど、日常との兼ね合いで難しく、『じゃあ夏休みの間、一ヶ月でもこちらに』とも言ってくれ、現実的には私の夏休みを利用し12日間プラハに娘2人と私で行ってきました。(放射能を解毒するのに一週間離れるだけでも体にとっては違うことが、その後放射能被害の団体から発表されています。)
10年ぶりの海外しかも、初ヨーロッパ。勢いで、即航空チケットを3人分予約。3人の航空券は私にとっては、まさに清水の舞台から飛び降りる様なお値段でした。
それまで、毎日毎日仕事と家事育児、自分の事を10年間やってこなかったご褒美だと周りの皆は言ってくれました。(今や、子連れプチ留学という名目でひょいひょい国外逃亡するので、誰も言ってくれませんが、、、)
チケットだけを握りしめ、ルヅィニエ空港へ。しかーし、空港で待っててくれているはずが居ない!スマホもない時代です。もし来なかったら、泊まるところも取っていない状況です。電話が繋がり『バーベキューしてたらおくれちゃったの(笑)待っててねー』って。その位の感覚でいいんだよね~ きっと。その後、私達は素敵な12日間を過ごしました。
間違いなく、この旅が私を変えました。価値観が変わりました。行きたい所には必ず行く。やりたいと思ったら必ずやる。もちろんタイミングがあるので、叶うまでに時間がかかる事もあります。でも、必ずやってみる!
自分で決めた事が叶う喜び、ご縁を現実に繋げる幸せ。今思うと、私が伝筆のご縁を皆様に広げたいのは、こういった人と人との繋がりを経験してきたからかもしれません。
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