「早く死にたい」というのが晩年の母の口癖だった。
私が高校生ぐらいの時からかな?
母の心と体はじわじわと、
でも、着実に壊れていった。
真冬に裸同然の格好で
近所をうろうろ歩いて警察のお世話になっては、
「ねーねー、山下清だって真冬にこんな格好で歩かないよ」
と言いながら何度も迎えに行ったもんだ。
そんな感じだから、
それまでの交友関係はほぼ途絶え、
生きる喜びも、
でも、死ぬ力もないまま、
生きる屍となって
ただただ、”その時”がくるのを待つだけだった母。
ヘアメイクアーティストの弟が、
「俺が母ちゃんの死に化粧をするよ」
と言ってメイクをしてくれたものの、
その顔があまりにも「コウメ太夫」に似ていたもんだから
余計に「チクショー!!」って感じで、
「母は幸せだったのか」
という禅問答に向き合う毎日だった。
でも、ある時、
ふっと降りてきたのが、
「20歳だろうと、100歳だろうと、
私はこのために生きた、という”何かがあればいい”」という・・・声。
志の大小はどうだっていい。人と比べず、自分の信じた道を生きる。
母が亡くなってからずっと
自分が棺桶に入った時にどんな死に際がいいかなー?とよく妄想するようになった。
なんなら、「今日は焼肉にしようかイタリアンにしようか?」くらいの頻度で。
そして、何度考えても最終的に出る答えは、
「私はこのために生きた」という誇れる何かを持って死にたい、と思った。
世の中にインパクトを残すような仕事をするぜ!でもいいし、
家族のことを大切にする、でも良いと思う。
志の大小なんてどうだっていい。
そんなことより、人と比べることのない、
自分だけの信じた道を生きれたかどうか?の方がずっとずっと大事だし、
それこそが自分の人生の質を決めるのだと思うのだ。
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