台風が来ると必ず思い出すことがあります。
昭和34年甲府市を通過していった台風です。私は小学校2年生、弟は2歳でした。
朝起きると両親がガラス戸を必死で押さえていました。
私が生まれた家は6畳と4.5畳の二間にその外に縁側がついていて、狭い庭には父が作った小さな池がありました。
弟が生まれて縁側と池は壊されて広い板敷きの廊下が作られました。外側には全面ガラス戸が入っていました。そのガラス戸が風によって内側にたわんでいたのです。
私は怖くて怖くてなりませんでした。父と母は「トンカチはないか?!」とか「隣に借りに行こうか?!」などと怒鳴りあっています。どうなるんだろう、と怖くて怖くて泣いているだけの私を横目に2歳の弟はキャッキャ言いながら嬉しそうに走り回っていました。両親はそれを叱る余裕すらありません。
やがて風は収まったのですが、それから暫くしてのちまた台風が来るというので父は家のガラス戸に板切れを打ちつけて出張に出かけました。おそらくそれが伊勢湾台風だったのではないか、と思います。
弟は台風の強風に狂喜乱舞した性格そのままに育ち、嵐が来たり雪が降ったりすると「パトロールにいかなくっちゃ!」などと嬉々として出かけていました。
その台風の時の話をすると「栴檀は双葉より芳し、そのころからそうだったんだ!」とやけに納得してました。母方の従兄たちも同じようなことをしていたので、やはり同じ血が流れていると思われます。従兄たちは台風のさなかにカッパだけ着て外にでて喜んだりしてましたから・・・・私も一度付き合わされたことがあります。
台風が来ると必ず思い出します。父はそのことを覚えていたのだろうか・・・・・