9月なのに、また7月の時の話…


息子を迎えに学校へ行くと、

何週間か前から、ちょっとルーティンみたいになっているような事があり…

別に問題な事でもないし、ルーティンになってても特に困りはしないんだけど…

こだわりになったら嫌なので、ルーティンが完全に出来上がる前に壊しときたい私知らんぷり


もう校門に向かって歩いてるのに、ルーティンが完遂してない息子は、わーわー言いながら私の手を引っ張り、学校に戻ろうとしてた。 

私「暑いから早く帰ってアイスでも食べよウインク

と言うと、

息子「うーん…、そうだね飛び出すハート爆笑

と、わりとあっさり引き下がった(そしてその後、このルーティン発動なし)。


という話をざっくり学校の連絡帳に書いたら、

先生が「お母さんの手際、さすがです」

みたいなお返事があり…


でもこんな、〝他の物で釣って誤魔化す″って手法を毎回取ってると誤解されたくなかったので…

翌日の連絡帳に

「息子は5歳位まで癇癪があり、その時は〝要求を叶える″、〝他の物で釣る″は絶対にしないで、知らんぷりしてクールダウンするまでひたすら待っていましたが、今は癇癪がないので、〝他の物で釣る″方法も取れるようになりました」

って書いた。


学校へお迎えに行くと、先生が来て

「連絡帳見ました。癇癪があったんですね…!

お母さん、ほんとに大変でしたね…!」って、

心底共感してくれるような、

労ってくれるような、そんな言葉とリアクションを返してくれた。

その日の連絡帳にもそんな言葉が並んでた。


息子の癇癪について、たったあれだけしか書いてなかったのに…


苦労を解ってくれた…!

というか、

解ろうとしてくれた

慮ってくれた

労ってくれた


それがものすごく嬉しかった。


今思い返すと、そういう気持ちに寄り添ってくれた人っていなかった気がするなぁ。

児童発達支援に4年通所してた時は、信頼している先生方にはその都度相談して、アドバイスいただいて、助けてもらってはいたけど。

気持ちに寄り添う、みたいなのはなかった気がする(でもそんなのがあったらきっと絶対泣いてたな。そう思うとアドバイスだけで良かった気がする)


でも…

学校の先生からの言葉が嬉しかったのは、私が先生を信頼しているからだな。


昔…

同居してすぐの頃だから4年前か…

あの人から、

「◯◯ちゃん(私)も大変だったんだねぇ」と言われた。


あの人の友達の孫に発達障害があるらしく、色々聞いたらしい。

そのご友人は「息子夫婦はすごく頑張ってるんだ」と言っていたみたいで、自分も言いたくなったんだろう。


でも…

発達障害の子の大変さ、困り事は本当に千差万別だ。

ご友人のお孫さんがどういう状態で、どう大変なのかは分からないけど、息子と全く一緒な訳は絶対にない。


加えて、あの人は発達障害についての本を何冊か読んだようだが、

専門的に学んだ事はなく、

発達障害者を育てた事も、深く関わった事もない。


そして、私はあの人に息子の生育歴や困り事等、

一切話した事はない。

ついでに、同居する前から、度々あの人の言動に嫌な気持ちになる事があった。 


そんな状況で、労いの言葉を掛けられても…


嬉しいなんて少しも思えなかった。

それどころか…

息子の状況も、私たちの育児の苦労も、

なんにも知らないくせに、なんでそんな知ったような事が言えるんだろう


と、スッと冷めた気持ちになった。

心の扉の一つをそっと閉めた瞬間であり、

この先もずっと、この人に育児の話はしないだろう、と思った瞬間だった。


言葉や気持ち、行動を嬉しいと感じるかどうかは、相手との関係性が大きく左右されるわ。

誰彼構わず嬉しいって事にはならないな。


先生の言葉が嬉しかった、って事を書きたかっただけだったのに⭐︎

うっかりあの人の事がよぎったばかりにもやもや


あの人の事がよぎると、どうしても暗く黒い気持ちになってしまう。


私はもう毒まみれ