『読解力』についての考察 | よこけんの右往左往

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「よこけん」こと、 ミュージカル俳優、横沢健司のひびを綴った日記です。

小学校の国語の授業以来、学校で習った言葉の割にはちょくちょく実生活でも耳にするワード、『読解力』。

とりわけ、俳優は台本を読まなければならないので、読解力が必要だとされる。でもまあ、演出家によって芸風が様々で、自分の読解と人の読解がかなり違ってたりするもんだから、無くても結構なんとかなったりする。

さて、その『読解力』がどういう事を指しているのか、ふんわりとは分かるんだけど、よくよく考えてみると、何をもって『読解力』とするのか、具体的によく分からない。一度しっかり考えてみようと、大昔の国語の授業を思い出してみた。

読解力といえば、小学校の頃の「作者の言いたい事は何でしょう」というとても無駄なテストの問題を思い出す。

子供ながらに「そんなの作家に直接聞いたわけじゃないんだから、先生にだって完全な正解が分かるわけないじゃん」と思っていた。

それにもし、間違って伝わったり、或いは全く伝わらなかったりしたら、それはもう書き手の責任じゃないかしら?

もうちょっと大きくなって中学生くらいになると、小難しい文章を「格調高い」文学だと紹介され、それを理解するのが『読解力』とされた。


小学校の頃の僕は、良く本を読む子供で、むしろ人より活字には親しんでいた方だと思う。でも、作文はいっつも未提出で、国語の成績は悪かった。

いま思えば、文章の書き方も教えられずに「作文を書け、作文を書け」と言われ続けたせいで、自分の知っているちゃんとした文章と、自分が書く稚拙な文章とのギャップが耐えられずに、拒否していた結果のような気がする。

こうやって、学校教育の国語からは早々にドロップアウトした僕なので、国語の授業の知識は二十年以上前のものだが、どうやら今でもそのダメな状況はあまり変わっていないらしい。

『読解力』をインターネットで調べてみると面白い事が分かった。

日本の学生の学力は、数学や科学は世界でもトップクラスなのに、読解力となると急に平均並みに落ち込むそうだ。日本では識字率や就学率がほぼ百パーセントであることを考えれば、日本人はむしろ読解力が劣っていると言える。

海外では『読解力』と言えば、テキストの意図を汲み取って、そこから何を思うのか、それを使ってどう自分の主張を展開するのか、そういう「応用」の方が重要視されるそうだ。

しかも、その「テキスト」にはグラフなども含むという。小説を読む読解力はともかく、グラフや資料を読む読解力が劣っていては、日常生活で知らないうちに困った事になっているであろうことは、用意に想像できる。


台本の読解というのは、小説の読解より断然難しい。なぜなら、台本には大事な事は何一つ書いてないからだ。

脚本家は登場人物の喋った台詞しか書けないから、本当に脚本家が言いたいことは、実は行間にギチギチに詰まっている

それこそ『読解力』を駆使して、作家や脚本家の意図を読み解いて行かなくてはならないのだ。

日本人は奥ゆかしさを美徳としている。もしかしたら、文章でもきっぱり言い切らないのを善しとしているのかもしれない。

ものをはっきり言わない奥ゆかしい作家や、台詞と台詞の間の空白に巧妙に真意を隠す脚本家の意図を読み解くために、日夜努力して読解力を鍛えて行かなければならない。