こんにちは、ことりの森です。

 

また三月がやってきました。

私は、三月生まれ

2011年3月お誕生日の月に人生が大きく変わった

 

私の故郷は福島県 浜通り 

あの地震、(東日本大震災)半端ない揺れ

もう地球は終わってしまうのだろうかと思うほど

凄い揺れ,地割れした道路からは水が噴き出し

電柱が倒れ電線がたれさがり

悪夢のようでした。

まだ揺れがおさまらない中、娘を高校まで迎えに行った

道路には亀裂や陥没、異様な景色

 

娘が「お母さん大変なことになったね、大変なことに」と

繰り返し言った言葉が忘れられない。

 

震災が起きてから八年目に入る

「震災の話もう聞きたくないよって方もいます。

その方はスルーして下さい。(^_^)」

 

沢山の別れがあった

飼っていた小鳥やハムスター

そして三頭のわんこと牛達

救うことが出来なかった

 

昨年、家を解体するときわんこの頭蓋骨が庭で見つかって

そっと息子が拾ってこれスマイルかな?

穴を掘って埋めてあげました。

「ごめんね」なんど申し訳なくて泣いたことだろう

 

友人達もみんなどこに行ってしまったんだろう

震災後、全然連絡先もわからなくなった方だらけ

 

故郷があればこそ引っ越しても実家に戻ったとき

お盆やお正月、懐かしい顔に会うこともできる

子供の成長やお互い年をとったねなんて

話す楽しみもあっただろうに

 

中学の同級会だって多分もう難しい

実家があってこそ連絡がとれるのだから

その実家がみんなチリジリバラバラ

私の実家も建物は残っているけれど

 

最愛の母が震災後に亡くなって

母が大切にしていた下宿屋もしーんと静まりかえって

外から眺めると不思議な気持ちになる

「お母さん」って呼べばひょっこり現れるような

 

浪江町は2017年3月31日午前0時に避難指示が解除された。

 

知人の90歳になる獣医さんがどうしても帰りたくて

浪江町に戻ったけれど散歩しても住民に会うことはなく

復興作業員の車だけで淋しいですと・・・・。

病院や買い物、気晴らしに外食は一人で運転して

南相馬市まで出かけるそうです。

知人がいない街でもそれでも故郷が好きなのです。

高齢で自分に残された時間を故郷で過ごす

こころ穏やかに残りの人生を過ごしたいだけ

特別なことは望んでいないと思います。

国のリーダー達は、わかっているのかな

人は物質の豊かさだけでなく心の豊かさと

生きる喜びがないと悲しいです。

 

私達家族は、新しいレールに乗った

これから新しい家族が増えたとして

昔、大きな震災があってこの栃木に移住したことを

代々伝えて行くことになるのでしょうね。

 

人は幾度か人生の波が変わることがある

会社員だった私夫婦はボディケアセラピストと言う仕事を選んだ

主人は、私が選んだレールに乗るしかなかった

 

それは、家族を守るため・・・。

 

「なぜボディケアセラピストになろうと思ったのですか?」

と聞かれることがありますが

子供の頃何も特技がなくコンプレックスの塊だった自分が

父に唯一ほめてもらえたのが肩モミだったからかも知れない

 

 

商社に勤めていたので事務の仕事を選ぶことも

可能だったかも知れません。

 

でも二度目の人生、神様のプレゼントだと乙女のトキメキ思いたかった

 

自分がやりたいことをやってみたかった

自分のやりたいことが出来るチャンスなんてありませんよね。

そうだ!ピンチをチャンスに変えて!!

タロットセラピーネイタルナンバーアドバイザーになって

震災の時のカードを見てみると

まさしく、震災翌年はピンチをチャンスに変えるカードが来ていました。

きつかった〜ほんときつかったです。

このカードをネガティブに使わなくて良かった

 

 

息子の7.5畳のアパートに家族6人犬2匹

アパートの近くを泣きながら散歩して

これからどうしたら良いのだろう

 

みんな泣きたいのを我慢して

それぞれ家族のいないところで

そっと泣いていました。

 

 

被災した三県の方それぞれに色んな辛さと体験があったと思います。

津波で家族を失った方、原発災害でふるさとを離れた方

みんな自分で望んだことでなかった

しかし、一番大切なのはその後・・・・。

 

大きなおおきな災害は、何を私達に教えたのでしょうか?

人生は学びというけれど

自分の生き方やこころのあり方

 

お年寄りは戦争も体験してなんで今なの

あといくらもない命の時間こんな辛い

自分達が生きてるうちにこんな震災が起きるなんて

 

廃炉に関するテレビ番組が放送されていました。

国はあと40年で壊れた発電所を廃炉にする計画

 

多分、私が生きているうちに廃炉は、完了しないだろう

産業のない地域が原子力発電所に助けられてきたのも確かです。

街のほとんどの方が発電所に関わって生計を立てていたのですから

大田原に住んで私達が住んでいたところより栄えているのに

外灯が少ないのに気が付きました。

やはり町は恩恵を受けていたんだなって

環境が変わって色々気が付きました。

 

福島浜通りは、田舎なのに物価は高かったですね。

良く笑い話で原子力価格って言ってましたよ

飲食店も美容室もリラクゼーションの単価も高い

皆さんそれだけ田舎にしては、収入があるってことでしょう。

 

細かいことを言ったら切りがありません。

人それぞれ育った環境や地域に根付いて

生活してきたのですから

 

人間が作ったのに人間がコントロールできないなんて

原子力発電所を稼働できずに困っている地域もありますね

また大きな地震があったら怖いと言いながらも

まさかね~と言う感じではないでしょうか

 

生活がかかっていますから「絶対稼働させないで」と猛反対もできません。

でもこんな恐ろしいことになるなら

国が、責任を持って現実的な対応をしてほしいと思います。

世の中お金が絡むと偽りや正しいことに関しての潰しがおきますね。

 

自然災害も日本各地で起きています。

暴風雨、雪、土砂崩れ、竜巻

そして他国からの脅威 環境破壊

 

でも人はどうにかして暮らして行かなくてはいけないし

あまり考え過ぎると世の中楽しくありません。

 

いまこの時間を精一杯生きていくことが大切ですね。

 

 

 

娘も震災を体験し

大きなヘリコプターがおりる校庭で

お年寄りの手を握り自分達の上着をかけ

「寒くないですか?」と声をかけたこと

きっと看護師の仕事に大きく役立っていること思います。

 

人は、ひとりでは生きていけません

 

ここまでたくさんの方々にお世話になって

生かされてきました。

 

人に親切にすること丁寧に接すること

普通がどれだけありがたくて幸せか

 

辛いことも人間って忘れる生き物

 

だんだん少しずつ薄れゆく3月の記憶です。

 

でもまだまだ廃炉は終わらない

子供達の未来に負の遺産を残さないでほしい

 

 

 

癒されたい、効かされたい方大歓迎

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