●太平洋戦争の戦跡訪問記(第32次沖縄本島 4日目…part6) | マウンテンフリークのブログ

●太平洋戦争の戦跡訪問記(第32次沖縄本島 4日目…part6)

   2023/9/30金…part6

沖縄刑務所からR331を引き返す。

このまま那覇に直行しても良いが雨が降っていない状況下に "沖縄平和祈念公園" を巡りたい。

此方に来てからの天候不順は眉を潜める程で天気の予測が全く立たない。

故に行ける時に行っておかないと最悪の場合はオミットせざるを得なくなるかも知れないのだ。

曇天の日で既に辺りは暗くなり始めているが頑張ろう!

ところがその道程で雨になって雨具を着るハメになり目的地に到着する頃には雨足が激しくなってこりゃ堪らん!

スクーターをバス停の屋根の下に置いて折り畳み傘を手に散策を開始。

 

(沖縄平和記念公園)

最初に訪れたのは "島守の塔" です。

沖縄戦時に県民を導いた島田叡知事並びに殉職された県職員の塔であります。

暗くならないうちに自分撮りを行う。

個人的な事ですがこの "島守の塔"を題材にした映画が8/12に我がたつの市でも公開されて兄貴と一緒に鑑賞したのだ。

萩原聖人さんが島田知事を演じたやつです。

その事も有ってどうしてもここだけは訪れたかったと言うのが本音。

 

(島守の塔)

島守の塔の後方に延びる石段を上れば立派な造りの "島田知事&県職員の慰霊塔" が建つ。

その先にも階段が延びているが規制ロープが張られて立入禁止。

この先には何が有るのかは私は承知しています。

それは "島田叡(県知事)&荒井退造(警察部長)最期の地を示す碑" です。

立入禁止措置が取られている理由は分かりませんが…。

 

(島田知事&県職員の慰霊塔)

全国47都道府県の慰霊碑が建つ摩文仁の丘に上る。

既に夕闇が迫っており気味が悪いが強行する。

兵庫県出身者を祀るのが "のじぎくの塔" だ。

沖縄戦に於いては北海道・東京都に次ぐ犠牲者を出したのが兵庫県。

時間が無いので塔の入口にて合掌!

 

(のじぎくの塔)

摩文仁の丘の頂上直下には "陸軍第32軍終焉の壕" が遺る。

既に雨は本降りになっており写真を撮ったら雨粒にフラッシュの光が反射して水玉模様が出来てしまった。

まあこの現象は湿度が高い洞窟とか陣地壕でも起こるからまあええやろ!

1945年6月23日未明、この地で牛島満中将以下の軍幹部が自決してこの日が沖縄戦終了の日とされる。

実際にはその後も日本軍の抵抗は続き最終的な降伏日は終戦後だった。

 

(第32軍終焉の壕)

摩文仁の丘の最高所に建つのが "黎明之塔" .。

沖縄守備隊の慰霊碑でここでの写真撮影はすっかりルーティン化している。

手摺りにデジカメを置いてセルフシャッターで撮影。

雨が酷いから三脚を出すのが面倒くさいのです。 (笑)

ここで "海ゆかば" を歌ってから合掌!

 

(黎明之塔)

残るは沖縄戦の犠牲者のご芳名を刻んだ "平和の礎" のみ。

と言ってもすっかり闇夜となり何も見えません。

降雨によって視界が閉ざされているのもその一因でもある。

平和の灯が有る広場まで行って東シナ海を眺めるが非常に不気味に感じた。

最後に平和の礎の標石をバックに自分撮りだが辺りが真っ暗なので何とか刻まれた文字を写し出すのが精一杯。

 

(平和の礎)

後は雨が降りしきる中を宿に向かってR331を北上。

私の台湾料理の福楽(御用達の食堂)で夕食を食いたかったが雨具の脱着が面倒で結果的には宿まで休憩なしで走破した。

宿に帰ってから松山町のステーキハウスヒカリで "牛すじカレー" を食うがこれが期待外れ。

私としては呉の牛すじ海軍カレー(お食事処 多幸膳で提供)の様な逸品を想像していたが実際は全く違ったのです。

それでも本日は昼飯抜きで活動していたので腹ペコ状態だ。

取り敢えずは満腹になって全ては良し! (笑)

 

(牛すじカレー)