●太平洋戦争の戦跡訪問記 (第32次沖縄本島 6日目…Part2) | マウンテンフリークのブログ

●太平洋戦争の戦跡訪問記 (第32次沖縄本島 6日目…Part2)

   2023/10/1(日)…part2

雨は断続的に降り続きスクーターの運転が辛い。

スマホのナビ機能に従って "南風原文化センター" に向かう。

雨の日は屋外での活動は止めて博物館の拝観などで過ごすのが良い。

この施設は以前に一度だけ訪れた事が有りますがあれからかなりの期間が経過しているしその間に展示品の入替えも為されているだろうからな。

場所は沖縄陸軍病院が有った南風原町の黄金森の麓です。

アクセスの途中で何を勘違いしたのかウッカリ沖縄自動車道に入ってしまい慌ててスクーターを押して脱出すると言う普通ではあり得ない失敗を犯した。

幸いな事に警察に会わなかったから良かったが肝を冷やした。

15時過ぎに到着して受付で拝観料(300円)を支払って入館です。

拝観前に写真を撮って貰います。

拝観順路は受付の右側からで初手から当時の陸軍病院の様子を再現したコーナーが続きます。

 

(野戦病院の展示コーナー)

最初の展示は "飯上げ作業" です。

二人一組となって炊事場から丘を越えて野戦病院壕まで運びますがこれがかなりの危険な任務で飛び交う弾雨の中を無事に切り抜けるのは奇跡に近い程の難度だったそうだ。

傷病兵の為に毎日この業務に携わったのだから大変な労務です。

 

(飯上げ作業)

野戦病院壕は二段ベッドとなっていました。

傷病兵に見立てたマネキン人形が横たわり当時を再現する。

前述の飯上げ作業によって届けられたご飯によりおむすびが作られて患者達に配られていたのです、

ところが米軍の攻撃が苛烈になるに従い飯上げ作業も滞りがちになりその量も先細りして行きました。

 

(病棟の二段ベッド)

此方は "防毒マスク " です。

米軍お得意の馬乗り攻撃を受けた時の必須アイテム。

多くの陣地壕からはこの類の装備品が出土しています。

 

(防毒マスク)

此方は黄金森の南風原陸軍病院壕の出土品です。

歯ブラシとそのケース、万年筆、碁石、眼鏡などが見られる。

 

(各種の出土品)

此方は出土した銃剣、小銃弾、陶器製手榴弾です。

金属不足に対応する為に日本軍は陶器の手榴弾を導入したが金属製のそれと比べて殺傷力は著しく劣っていたと言う。

資源に恵まれた米国とは武器の性能でも大きな差があった。

 

(各種の兵器)

此方は負傷兵を治療する手術台を再現したもの。

従軍学徒達は手術の補助、切断した手足の廃棄などに従事したそうですが今で言うところの中高生の年代の少女達にとってはあまりにもショッキングな業務だったであろう。

戦局の悪化に伴う負傷兵の激増により医薬品の欠乏も深刻で手足の切断時にも麻酔なしでの施術が行われた。

医療体制が整っていた米軍ならば助かっていた筈の患者も日本軍に於いては "戦傷=戦死(自決も含めて)" ではなかったのか?

 

(手 術 台)

壕内で発見された品々です。

何れも高熱に炙られて著しく変形しています。

陣地壕内に火焔放射攻撃を受けた時の遺留品かな?

 

(高熱で変形した品々)

壁に沿ってたくさんの出土品が展示されています。

ヘルメット、砲弾、軍靴、飯盒、小銃弾、食器、タンク等がごちゃ混ぜ状態に置かれている。

壁には戦没者のご芳名らしき掲示板が掲げられる。

 

(出土した大量の品々)

南風原町の子供達は本土に疎開していましたがその時に使われたのが此方の食器です。

戦後に故郷に戻っても肉親との再会が叶わなかったと言うケースも多々あった筈であろう。

 

(疎開学童の食器)

此方は機銃掃射による弾痕が遺った塀。

沖縄戦関連の遺留品、解説板などの展示はここでお終いになりこれから先は戦後に関する資料の展示となる。

 

(弾痕が遺る塀)

戦後の資料が並ぶ部屋の中心に鎮座するのは米軍の主力戦車であった "M4シャーマン中戦車(30t)の砲塔" です。

太平洋戦争の島嶼戦に大量に投入され火焔放射専用のものも硫黄島、沖縄の戦闘で用いられた。

さすがにその装甲の厚さは日本軍のそれとは桁違いですな。

この資料はここの目玉とも言える程の存在感でしょう。

 

(米軍M4戦車の砲塔)

この部屋は昭和時代の懐かしい品物のコレクション。

松山容子さんのボンカレーの看板は先日訪れた棚原鉱山資料館を思い起こさせられる。 (笑)

まあこの辺の展示は目の保養としてならばよかろう。

 

(懐かしい昭和時代のコレクション ①)

此方も同じ傾向の展示です。

仁丹、金鳥、オロナインなどの看板を見て思わず笑みが出るのでした。

それだけ私が年齢を重ねたと言う事でしょう!

 

(懐かしい昭和時代のコレクション ②)

此方のトンネル状の部屋は主に昭和時代の音楽、映画関連のレコード、ポスター、DVD 映像が公開される。

既に亡くなられた俳優、ミュージシャン達を思い起こすエリアです。

 

(懐かしい昭和時代のコレクション ③)

この施設の閉館時刻は18時ですからギリギリまで粘っても良かったが貸スクーターは19時までに返却せねばならないから余裕を持って行動しましょうと言う事で17時過ぎに退館。

この頃にはあれ程ぐずついていた天気もすっかり回復して青空が覗く。

スマホにレンタル業者へのアクセス道案内を設定して那覇市内に向かう。

 

(南風原文化センター)

奥武山公園には18:10に到着ですから余裕です。

時間が有るので私が以前に御用達にしていたレンタカー会社に立ち寄ってみる。

新型コロナ禍になって保有台数もかなり減らして予約も取り難くなって料金も以前ならば軽四車で2900円/日だったのが5100円/日と大幅に上がったと知った。

沖縄訪問時に軽四車を借りるのもかなりの負担増になったのだ。

誰かと一緒に沖縄を巡るならば四輪車が欲しいが私独りならばやはりスクーターがリーズナブルかな?

満タン給油を終えてからスクーターを返却して後は徒歩で宿まで移動。

松山町界隈のステーキ店に行くつもりが日曜日の深夜は休業で食事は出来ず。

仕方ないからとまりんのお隣のほっともっとで弁当を購入してから帰宿。