●紀州九度山町を訪れる(真田庵、その他)…後編
2023/8/5(土)…後編
次の目的地は真田昌幸・幸村父子が蟄居していた地ですが現在は "真田庵" と呼ばれており戦国武将オタクにとっては垂涎の地となっている。
場所は真田ミュージアムから徒歩で数分ですから近い。
現在は善名称院と言う寺院が建っています。
(真 田 庵)
善名称院の前には "雷封の井戸" が有ります。
伝説によると真田屋敷に落ちた雷を真田幸村公が取り押さえてこの井戸に封じたと言う。
その真偽の程は不明だが幸村公の武勇を語るには相応しい逸話ですな。
(雷封の井)
此方は "長屋門" で真田庵への南側の出入口。
私は真田ミュージアムから近い北側の門から入ったが此方からも出入可能です。
加えて真田昌幸の墓所の方(西側)にも門が有ります。
(長 屋 門)
長屋門の奥に見えて居いるのは善名称院でその左手前の樹木が植えられた敷地には真田昌幸の墓所が有ります。
門の天井にはたくさんの解説文が貼り付けられています。
(長屋門からの眺め)
真田庵に遺る "真田昌幸の墓所" です。
戦国時代を知恵&謀略を駆使して行き抜いた武将がここに眠る。
武田→徳川→上杉→豊臣と目まぐるしく主家を替えて波乱万丈に乱世を生き抜いたアッパレな御仁。
(真田昌幸の墓所)
この看板の後方に広がる平坦地に真田父子が暮らした屋敷が有ったそうです。
当たり前だが現在はただの空地に過ぎない。
この地にて真田昌幸・幸村父子は再び復活を企てていたが父は逝去して倅は大阪の陣にて陣没する運命に至った。
(真田屋敷跡)
此方は "真田古墳" と呼ばれる6世紀頃の古墳。
この古墳の穴が大坂城に繋がっており幸村がこれを辿って出陣したと言う伝説が残るからこの名が付いた。
実際にはそうではないと私には思えるが…。
(真田古墳)
真田古墳の近くには "萱野家屋敷" が有るそうなので序でに見て行こう。
高野山真蔵院の里坊として建てられた由緒有る建造物。
萱野家の所有でしたが九度山村に譲渡され文化財に指定した。
現在は無料拝観(ガイド付き)が可能となっている。
(萱野家屋敷 ①)
ここには "大石順教尼" が何度も滞在された。
養父によって17歳で両椀を切り落とされると言うハンディを持ちながら高野山で尼僧を志す。
筆を口に加えて多くの書画の作品を描き続ける。
当時の高野山は入山が難しかったが萱野家の助けを受けて得度を果たす。
その誼でこの屋敷で過ごされたとの旨。
屋敷内では解説用のDVDも観られ数々の資料の展示もございます。
但し、写真撮影は不可とされているから残念!
この地を離れる前に門の傍にて自分撮りです。
(萱野家屋敷 ②)
九度山町での活動を終えてJR高野口駅に戻りました。
予定よりも早く活動を終えられたので早めの電車に乗って帰路に着ける。
当初から考えていた様にJR和歌山駅近くで "和歌山ラーメン" を食って帰りましょう。
(JR高野口駅)
ネット検索でJR和歌山駅の地下1階に麺処が有ると知ったので其方へ。
注文品は言うまでもなく " 和歌山ラーメン " です。
チャーシュー追加仕様を注文したからボリューム感もアップ!
スープは豚骨と醤油を足して二で割った様な味で美味かった!
とかく味覚と言うのは言葉では表現できないジャンルですからこれだけは現地に赴いて食べて欲しい。
(和歌山ラ-メン)
ラーメンタイムを終えてから麺処をバックに記念撮影。
此度の店舗は "丸美商店" でした。
ラーメンが大好きな私は時々スーパーで日本各地の袋入り生ラーメンを買います。
和歌山ラーメンも食べた事があるが本家本元のそれは初めての経験でした。
(丸美商店)
お腹を満たした後は帰宅へ一直線と行きたかったがまたまたJR奈良線にて人身事故が発生して運行が中止となりこのあおりでダイヤが乱れた。
そう言えば今春に高取山城に行った時も環状線の弁天町駅で人身事故が有ってダイヤの乱れが出た事があったよな。
青春18切符の旅はこれが怖いんですよね。
大阪駅発の新快速電車は40分遅れで何とか姫路駅に着いた。
後は姫新線に乗り換えて帰宅したのは23:30になった。
電車の遅延に影響されてヒヤヒヤものの旅でした。