●三井三池炭鉱の産業遺跡を巡る(初日…part1)大牟田石炭産業科学館の拝観①
昨夜は福岡市内の快活クラブにて投宿。
午前中は博多にて所用が有るので其方をクリアしました。
午後からはフリーとなれたので予てから行きたかった三池炭鉱の遺跡を見る為に大牟田市に向かった。
北海道では夕張、空知、釧路などの炭鉱は歩いた。
九州でも高島、端島(軍艦島)をも歩いたが三井三池炭鉱は未訪です。
この計画を実行に移す訳でございます。
2023/7/28(金)
西鉄の薬院駅から特急に乗車して南下する。
西鉄大牟田駅までは1時間余のアクセスですから着くのは2時過ぎになります。
(西鉄薬院駅)
乗車中に大牟田の何処から巡るかを考えていました。
その結果、本日は石炭産業科学館を拝観する事に決めた。
現地までのアクセスを短縮する為に西鉄大牟田駅にて貸自転車を利用する事にして駅事務所にて手続きを終える。
19時までに返却下さいとの旨ですからビッシビシと使わせて貰いましょう。 (笑)
(西鉄大牟田駅)
貸自転車を漕いで最初の目的地である "石炭産業科学館" に向かう。
車道を挟んでイオンモール斜め向かいに有りました。
14:30に到着しましたから駅からは15分程で自転車での移動が大正解。
先ずは日付が記された看板をバックに自分撮り。
石段を利用すれば2階に上れます。
(石炭産業科学館)
屋外には炭坑で使われた幾つかの重機、掘削現場の設備が展示される。
先ずは屋外展示場を一望しておく。
他には "炭鉱夫の像" なども有って炭坑の街の雰囲気が漂う。
(屋外展示場)
とても小さな機関車ですね。
その名称は " バッテリーロコ " です。
蓄電池によって動く小型の電気機関車で坑内から基幹坑道まで運搬を担っていた。
(バッテリーロコ)
此方は "シールド型自走枠" です。
枠の最大高さは3.2m、幅は1.45m、支持力は640tとなっている。
炭坑切羽の天井を支えて作業空間を確保して重機並びに炭作業員の安全作業をサポートする為の設備。
(シールド型自走枠)
圧縮空気で稼働する小型の岩石積込機で "ロッカーショベル" と言う。
岩石を前面のショベルで掬って後方に連結された炭車に積込むのだ。
採炭現場と言えばとかく巨大な重機を思い起こさせられるがこの類の小型の機械も活躍していたのだな。
(ロッカーショべル)
屋外展示場はこれくらいにして館内に入ってみよう。
入館料は420円と思っていたよりも廉価。
常設展示コーナーには大牟田市の沿革とそれに伴う三池炭鉱の歴史、発展についての資料が並びます。
先ずは壁に沿って展示資料を拝観して行きましょう。
三池炭鉱について語るにあたり絶対に外せない人物が居ます。
彼の名は "団琢磨" と言う実業家で三池港を開港させるなど多大な功績を遺した御仁です。
此方に展示されているのは彼が愛用したシルクハット。
(団琢磨のシルクハット)
此方は "三池港のジオラマ" になります。
閘門の設置により大型船の接岸が可能となり石炭の搬出が容易になった。
快速石炭船積機(ダンクローダー)が岸壁に3基設置されて300t/hの積込能力を維持した。
(三池港のジオラマ)
明治時代の後期になれば多くの炭坑は地下数百mまで掘る様になる。
動力には蒸気が利用される様になって採炭量は飛躍的に増える。
それでも採炭機には蒸気は不向きであったのでやがて圧縮空気による機械が用いられる様になった。
蒸気&圧縮空気の時代を経て電化されるまでは手掘りの現場も存在した。
(機械技術の導入)
1889年に開削中だった勝立立坑が大量の湧水により水没する。
この事態を打開する為に団琢磨は英国から "デービーポンプ" の導入を決めた。
これに伴い地上にデービーポンプ室を設置して湧水対策とした。
このポンプの能力は絶大で三池炭鉱の救世主的な働きを見せた。
(デービーポンプの導入)
此方は採炭に使用された道具類。
上から担い棒、鶴嘴、各種の安全灯(5種類)が展示される。
炭鉱マン息遣いが聞こえて来る様です。
(炭鉱の道具)
前述の通り炭鉱の動力は蒸気→圧縮空気→電気と変遷しました。
電化が進む事によりベルトコンベアーが導入されて採炭現場からの石炭の搬出効率が飛躍的に上がった。
従来は人の手によって行われていた炭車への積込み作業も自動化された積込み機(ジョイローダー)の導入によって重労働からも解放される事になった。
立坑の巻揚機も電化されて細かい速度操作が可能となり安全性も向上。
坑内の排水ポンプもどんどん電化されて行きました。
(炭鉱の電化)
これで壁際の展示品はひと通り拝観を完了。
次は地底の様子を再現したコーナーに向かいましょう。
(Part2に続く)