●上月城跡を訪れる(三度目) | マウンテンフリークのブログ

●上月城跡を訪れる(三度目)

私の自宅から近い実戦に使われた城跡と言えば城山城、感状山城、白旗城跡(いずれも赤松氏)などが有るが戦国時代に於ける悲劇的な戦いが行われた城郭が有る事を忘れてはならない。

それが此度の "上月城跡" です。

実は私は過去に二度訪れておりブログアップもしています。

山陰地方で絶大な勢力を誇った尼子氏の滅亡の地となったのがこの地。

隆盛を極めた尼子氏であったがこんな小さな山城が最期の地となったのだ。

 

 

  2023/7/19(水)

午前中に降っていた雨も上がり現地に着いた頃は薄日が差す程。

愛車を上月町歴史民俗資料館に駐車して活動を開始。。

上月城の沿革を記した解説板に目を通しておきます。

此方が大手口コースの様だ。

 

(大手登山口)

登山口から見た上月眺歴史民俗資料館ですがご覧の様に閑散としていると言いますか開館していないのだから当たり前である。

こんな小さな山城を訪れる人は少ない。

上月城の歴史的存在を知っている人も僅かなのかな?

因みに小生は17年前に一度は拝観した。

 

(上月町歴史民俗資料館)

本丸跡に繋がる登山道の取付き点はここです。

小さな道標に従って登高を始める。

ここから暫くはジグザグの急な登高が続きますが本丸跡との比高差は大したことないのは承知しているから気分的には楽チン。

 

 (登山道取付き)

本丸跡に至る途上には2ヶ所の出丸が設けられていますが此方が最初のそれ(便宜上、出丸№1と記します)が現れる。

本丸の防御を担う最初の曲輪です。

 

(出丸№1)

曲輪の傍には僅かですが上月町の街並みが望める場所が有りました。

ご覧の様な小さな農村が広がる。

元はと言えば佐用郡上月町と呼ばれていたが平成の大合併により佐用町が近隣の南光・上月・三日月の3町を吸収して新生の佐用町が発足したのだ。

 

(上月町の街並み)

急な尾根を辿って行けば堀切が現れます。

ご存知の様に敵兵の侵攻を妨げる為の防御施設。

現在は微かに窪んでいる事が分かるくらいであるが当時はもっと深さもあったに違いない。

この類の堀切は後ほど訪れる搦手側にも見られるので便宜上、ここを "堀切№1" と記します。

 

( 堀切 №1 )

堀切№1を過ぎれば本丸跡の直下に広がる "出丸№2" に着きます。

此方がその写真になります。

出丸№1と比較して面積は広いが要害とは思えない程の平凡な縄張りと思える。

この曲輪の直ぐ後方に位置する高台が本丸跡です。

従って出丸№2は本丸跡とは隣接している訳でここが陥落したら本丸の陥落は必定となる筈だ。

 

(出丸№2

本丸跡に着きました。

ここから出丸№2を見下ろしてみればその比高差は5mもない。

故に出丸№2で敵を撃退できなければ落城は避けられないと思ったのだ。

 

(本丸跡から見た出丸)

本丸跡は40m四方くらいの広さで思ったよりも狭い。

 "上月城" と記された幟がはためく。

昨今の播磨地区は城郭関連の宣伝を盛んに行っておりそれを示す幟が設置された城跡がまま見受けられます。

城山城跡、置塩城跡、感状山城跡、白旗城跡などなど…。

 

(本丸跡 ①)

本丸跡に設置された250回忌の供養塔です。

上月城は美作・播磨・伯耆の三国の境界に位置する要衝で幾たびも戦争に巻き込まれた。

 

(本丸跡 ①)

本丸跡を別の角度から撮影してみました。

最後の城主となった尼子勝久公もこの地に立っていたのです。

この寂れた山城に独り立つ事に侘しい気持ちで満たされそうだ。

 

(本丸跡 ①)

本丸跡の先には尾根続きで二ノ丸跡の痕跡が見られます。

ところが下山後に写真を確認してみたらその殆どが失敗作だったと知り大ショック!

此度の訪問で最も重視した箇所での写真がダメだったのですから…。

従って二ノ丸跡周辺の写真はアップ出来ない事を読者の皆さんにお詫び致します。 (涙)

此方は二ノ丸直下に設けられた "堀切№2" です。

かなりの規模の堀切であった事が窺えます。

保存状態も堀切№1と比べても良好だな。

 

( 堀切 №2 )

更に下って行けば "堀切№3" が現れる。

ここにも上月城の幟が見られます。

搦手側には2ヶ所の堀切が構築されていた様である意味では大手側よりも堅固な縄張りだったのかも知れない。

 

( 堀切 №3 )

堅固な防衛ラインが並ぶ稜線から急斜面の搦手道を下って行きます。

整備された登山道ではあるが雨上がりで水を吸った土に足を取られて何度も転びそうになった。

ストックを携行しなかった事が悔やまれる。

 

(搦 手 道)

上月城跡が築かれた山(荒神山)から下ったがここから愛車を置いた上月町歴史民俗資料館までの距離が予想外に長かった。

草いきれも深くて毒蛇でも現れたら大変な事になりそうでヒヤヒヤもの。 (汗)

この後、愛車に乗って帰路に着きましたが麓の集落から眺めた上月城跡がある荒神山は何処までも侘しさを漂わせていた。

 

(麓から見た上月城跡)

この後は愛車のタイヤ交換を行ってから帰宅しました。

数日後に愛車の3回目の車検が有るからそれを鑑みての事。