●尼崎城を訪れる | マウンテンフリークのブログ

●尼崎城を訪れる

6/17の午後から神戸にて所用が出来た。

せっかく神戸に行くならば序でに何処か未訪の地を散策してみたい。

あれこれと考えた末に "尼崎城" に行ってみる事にする。

確か一週間前にテレビで尼崎城の事を放映していたがその内容を鑑みて一度は訪れる冪と感じたのだ。

神戸までは愛車で移動して後は阪神電車で尼崎に移動すればよかろう。

尼崎城は阪神尼崎駅とは近いそうだからこれがベスト。

それでは行ってみましょう。

 

 

  2023/6/17(土)

06:35に自宅を出て龍野・太子、姫路、加古川の各バイパスを東進して行く。

:早朝とあって渋滞も皆無で所用がある会場には07:30に到着。

会場の駐車場に愛車を置いて徒歩で阪急六甲駅に向かうが道を間違えて20分以上のロスタイム。

幸先が悪いスタートである。

阪急六甲駅に着いてから駅員に尋ねると阪神尼崎駅に行くにはここから15分程南下した阪神新在家駅が最寄りと知らされたので辛いですが更に歩く事になった。

阪神電車に揺られて阪神尼崎駅で下車。

ネット情報によれば尼崎城は駅から歩いて5分程らしいです。

"尼崎城址公園" と刻まれた石碑の傍で自分撮り。

 

 (尼崎城址公園)

此方は "戸田氏鉄の顕彰碑" です。

戸田氏鉄は徳川家康の小姓として召し抱えられ1617年に尼崎に転封されて18年間この地を治めた。

その間に尼崎築を行い城下町の整備に尽力した。

現在の尼崎の基礎を築いたのは彼です。

 

 (戸田氏鉄の顕彰碑)

尼崎城の天守閣が見えて来ました。

ご覧の様に真新しい佇まいの建物です。

晴天の空の下に白亜の天守閣が映えます。

 

 (尼崎城 ①)

尼崎城の南側の広場に移動しました。

天守閣への登城口は此方からになります。

5年前に復元された天守閣ですが鉄筋コンクリート造りで戦国時代を彷彿させる様な雰囲気はございませんがとにかく入ってみましょう。

 

 (尼崎城 ②)

何と言っても鉄筋コンクリート造りの城郭とあって近代技術を駆使して復元されているのは当然の事。

天守閣は五層ですからエレベーターを利用して展望階(最上階)に上ってみる。

かなり前に名古屋城に登城した時に "何故、戦国時代の城郭にエレベーターが有るの?" と言う疑問を持った私だが…。

まあええやろ!

この辺の事情は深く追求していたら実も蓋もない。

此方は展望階の内部ですが東西南北全ての方向を眺められる。

 

 (展望階 ①)

此方は北側(宝塚市・伊丹市・池田市)の眺めです。

手前の赤レンガの建物は阪神電鉄の倉庫でその西側には阪神尼崎駅が見える。

駅の傍に流れる庄下川は尼崎城の西の要害となる。

 

 (展望階 ②)

此方は西側(神戸市方面)の眺め。

尼崎城下には寺院が集まっている "寺町" と呼ばれる地区が有るがここからは本興寺の屋根が見えます。

前述の通り眼下の庄下川が尼崎城の外堀の役割を担う。

阪神甲子園球場も此方の方向に有ります。

奥に見える山塊は六甲山の山並み。

 

 (展望階 ③)

此方は南側(大阪湾)方面の眺め。

と言っても手前に有る阪神高速道路が邪魔となって大阪湾は全く見えず。 (笑)

右端に見えている建物は "市立中央図書館" で此方にも歴史資料が展示されている様ですが此度は時間の関係でオミット。

 

 (展望階 ④)

此方は東側(大阪市方面)の眺め。

遠くにあべのハルカスが聳えています。

最奥に見えるのは生駒山地。

展望を堪能したので階段を利用して下層階に下って行く。

 

 (展望階 ⑤)

四層階は荻原一青(尼崎が生んだ芸術家)の作品ギャラリーとなっている。

日本の名城をあしらった手拭い&絵画が並びます。

芸術的な鑑賞センスに欠ける私は軽く流す程度でした。

 

 (作品ギャラリー

三層階にやって来ました。

ここには尼崎城に関する解説板が掲示されており順路に沿って読み進む。

大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼした徳川家康は大坂城を西日本の拠点とした支配体制を整えた。

大坂城防衛の為に城郭ネットワークを整備して万全を期したが大坂城に最も近い尼崎城を西側の防御を担うものとして重要視したのです。

江戸時代に起きた大塩平八郎の乱の時も尼崎城から670人の鎮圧軍が出陣したそうです。

陸運・海運の要衝だった尼崎は物流の拠点としての存在感が有った。

 

 (三層階の解説板)

此方は尼崎城の "レプリカの鯱" です。

鯱は火災から建物を守る為に屋根に飾る装飾物。

名古屋城のそれが有名だが姫路。大阪、広島、弘前など日本各地の城郭で普通に見られます。

 

 (レプリカの鯱)

三層階のメインは此方の "コスプレコーナー" であろう。

脱靴して金の障子の手前の畳の間に上がります。

そこにはコスプレ用の衣装が備え付けられており誰でも無料で利用する事が出来ます。

大概の観光地ではコスプレ用の衣装は有料なのが当たり前だがここでは無料と言うからこれは喜ばしい。

旨い具合にここに居られた館内ガイドの女性が撮影を引き受けて下さると言う事ですからそのお言葉に甘える事になった。

 

 (コスプレコーナー ①)

展示中の甲冑の傍にてコスプレ写真を撮る。

殿様がお召し上がりになる食膳(レプリカ品)を傍に置いたもの。

冑を被って陣羽織を着用しています。

 

 (コスプレコーナー ②)

此方は前述のコスプレに加えて刀剣を手にポーズを取る。

ど~ですか!

少しはカッコよく見えますかね? (笑)

 

 (コスプレコーナー ③)

武士の正装とされた "裃" を着用した私です。

さながら時代劇の役者の様ないでたちですな。

私としても裃を着るのは初めての経験。

 

 (コスプレコーナー ④)

此方は忍者のコスプレをした私。

手には手裏剣を持ってそれなりの雰囲気を出した。 

忍者と言うよりもネズミ男(ゲゲゲの鬼太郎に出て来るキャラクター)の様に見える人も居るかも知れませんな。 (笑)

 

 (コスプレコーナー ⑤)

二層階にやって来ました。

ここには戸田氏鉄(尼崎城主)が小姓として仕えた徳川家康公の像が有る。

周知の様に今年の大河ドラマの主人公の武将です。

この像が有る向かいの部屋はシアターとなっており尼崎城の解説DVDが観られます。

 

 (徳川家康公の像)

二層階には "尼崎のこぼれ話" を記した解説板が4枚設置される。

読み進んでみれば1846年に焼失した尼崎城の再建の為に地元民が冥加金を拠出して早期の再建が実現した事などが記される。

尼崎城主は住民の為になる治政を行ったものと思えます。

 

 (エピソード季節餡 ①)

徳川家康公の分家筋の松平氏が尼崎城主を務めた事に関する解説板です。

松平氏が尼崎を治めた時代は平和な時代で尼崎城が戦いに関わる事はありませんでした。

故に城主の松平忠告などは文化的な方で著名となった。

 

 (エピソード季節餡 ②)

最下階に下りて来ました。

この階の拝観は無料となっています。

従って二~五層階の拝観には料金が必用なのです。

最下階には主に尼崎の沿革についての展示が見られますがその中で目に留まったのが此方の安保詮氏の解説板。

家電量販店(ミドリ電化)の創業者で尼崎に一号店を出店した関係でこの天守閣を建築して市に寄贈なさったと言う。

当に尼崎城の大恩人と言うべき御仁ですな。

これにて天守閣の拝観はお終いとします。

 

 (最 下 階)

城址公園から出て寺町の方に向かいます。

車道には郵便ポストが有ってご丁寧にも上部には鯱が鎮座している。

これは微笑ましい計らいですな。

 

 (郵便ポスト)

寺町にはタコ焼き屋が有って廉価でボリュームたっぷりの商品が提供されていると知ってちょうど昼飯時とあって行ってみる事にしました。

スマホのナビ機能を駆使して迷うことなく到着したが既に店頭には行列が出来ていました。

店舗の名称は "タコ焼きの岡" です。

 

 (タコ焼きの岡 ①)

行列に並んで漸く順番が巡って参りました。

3人の店員さんがタコ焼きを調理中です。

価格表が貼り出されておりましたので撮影しておきました。

よかったら拡大クリックしてご覧下さい。

 

 (タコ焼きの岡 ②)

私が注文したのは21ヶ入りのパックでその価格は驚く勿れ300円(税込)。

これはもう何をか況や。

この値上げラッシュの世知辛い世情の中でこの価格でタコ焼きが購入できるのは普通に考えてもあり得ない。

たくさん買っても自宅まで持ち帰れる筈も無いので昼食として食べる1パックのみの購入となる。 (涙)

 

 (タコ焼きの岡 ③)

タコ焼きの岡の向かいに建つ寺院(法園寺)には佐々成政(戦国武将の1人)の墓所が有るそうなので立ち寄ってみる。

此方の墓石が佐々成政の墓石です。

尾張出身で織田信長に仕え各地を転戦したが信長の死後は豊臣秀吉に臣従。

小牧・長久手の合戦時は徳川家康方に付いたが豊臣・徳川の和睦が成立。

和睦後も富山城にて豊臣軍への反抗を継続したが最終的には和睦して豊臣に再臣従して九州征伐に同行して肥後国を任される。

ところが肥後国の国一揆の鎮定に失敗した咎で尼崎に幽閉され最終的には秀吉の命によって自刃してこの地に眠る。

佐々成政については私はあまり知りませんでしたがかなりの猛将だった様です。

 

 (佐々成政の墓所)

タコ焼きのパックを抱えて阪神尼崎駅へ。

阪神電車で新在家駅に向かうが甲子園球場で阪神vsソフトバンク戦が開催されるとあって車内は阪神ファンでごった返していました。

当たり前だが甲子園駅を過ぎれば車内はガラガラ。 (笑)

後は神戸にて所用を済ませて帰宅したのは21時となった。

 

 

   (後 記)

尼崎城を訪れてみてこの城郭はあくまでも一般観光客向けの施設と感じた。

私が好む合戦に晒された歴史がある城郭ではない事は初手から知っていましたから仕方ないのかも知れません。

あくまでも太平の世に築城されたのだから…。

現状では歴史オタク向けの城郭ではなくてコスプレを始めとした子供を連れの家族向けとしては楽しめる場所と言えます。

もう少し歴史的な事が学べたら良いのでこれからの資料の拡充が欲しいですな。

それでも館内ガイドのホスピタルには好感が持てました。

この尼崎城が観光の為に貢献して欲しいと強く望むものです。