もうだいぶ良くなりましたが、
2週間ほど咳が続き、夜になると特にひどく咳き込み寝られないぐらい。。。

新型コロナの症状と言われるような高熱が続くことや、味覚障害などは全くありませんでした。

それでも、コロナ感染の軽症の症状や無症状の感染者が一体どのような症状が出るのか分からない。

そこまで解明されてないこともあるでしょうし、報道されていないこともあるのかもしれない。。。

もしも。

この「咳だけ」が、コロナの症状の現れだとしたら。。。

そう思うと、怖くて、しばらくお家で悶々としていました。

お医者さんに行っても、コロナの検査はなかなかしてもらえないと聞く。

。。。コロナじゃないと扱われて、感染をふりまいたら?

。。。もしも、検査してもらえて、陽性だとしたら、周りの人に迷惑がかかって、恐怖を与えることになる。

そしたらどうしたらいいのだろう?

あーでもないこーでもないと数日間、本当に怖くて悶々していました。

そして、たまたま読んだこのブログ


※※※※以下、コピペです。

2020年は、直線的時間がなくなり

 

多次元の過去現在未来が今に集結するため、

 

 自分の多次元のNOが今に集結する

 

とも言えます。


それは、

 

多次元の自分の「黒歴史」が今に集結する

 

というイメージです。

 

…カオスですね(笑)

 

 

 現在の感染症において、

 

 統合の精神性の世界への

 

強烈な通過儀礼の始まりだと

 

感じることがあります。

 

 

 それは、

 

自分が知らない間に感染症を媒介して

 

自分や自分の家族や他人や

 

そこからつながる人に感染させて

 

 自分が誰かを

 

殺してしまう可能性がある

 

 と考える段階にあるということです。

 


これは自分の宇宙の創造主として


創造性と破壊性を自分自身に受容する


プロセスです。


(中略)


これから自覚しておいた方が良いことは、

 

自分が

 

人のいのちを奪う可能性がある

 

存在であること。

 

 

 自分が

 

誰かを殺める可能性がある

 

存在であること。

 

 という自分の「破壊性」です。

 

 

 今回の感染症において、

 

全人類がそのNOの可能性を自覚します。

 

そして、

 

そのNOの可能性とともに生きることは、

 

 

多次元の自分のNO可能性をYES◯で受容する、

 

功罪の両翼を自らのYES○で治める

 

 

約束されていた「宇宙の真理」でもあります。

 

 

※※※※※以上、コピペおわり



もしも、人間が何度も生まれ変わって色々な人生を送って色々な立場を経験しているとしたならば、

今、私たちの常識とされているような「正しい行い」のみ をしてきた人はいないのではないでしょうか。


数十年前には日本だって戦争に参加していました。


何が正しいのかは、時代によって変わるとは思いますが、

絶対的な善とか悪とかを、私たちが決めて、

それを弾糾するのは

どこかで繋がっている私たちの先祖や前世を

否定することになるのかもしれません。

それは、自分に流れる血をDNAを否定すること。


話の大小は関係ないと思います。


みんなそれぞれ、許せない他人がいたり、許せない行為があったり、

そして、そんな許せない自分を許せなかったり。。。。。


色々な立場を考えた時、

「許されたい自分」もいるでしょう。


ただ、ただ、

そんな、色々な立場があることを

私たちは認識さえすればいいのではないでしょうか。


そんな全てを許容する世界であってほしい。

そして、自分はそうありたいと思うんだ、と。


そんな風に私は府に落ちて


感染してたらごめんなさい、と思いながら


もうお医者さんにお任せしようと、

とりあえず呼吸器内科のある近所のお医者さんに電話して相談して、お医者さんに行くことになりました。


熱と、外国へ行ったかと、味覚障害があるか、など電話で質問され、全てないことを伝えると、来院してくださいと許可が出て、
お医者さんの前で再び電話すると隔離室に通されました。

レントゲンを撮ってもらい、診察室にて問診、聴診。喉の診察。
結果として、なんらかの感染や花粉による気管の炎症から、過敏になったための咳喘息と言われました。

コロナの可能性は極めて低いので、帰りは普通の待合室へどうぞ、と、通されました。

本当に怖くてたまりませんでしたが、
今回のことを通して、なんだか自分の軸が通ったような、
なんていうか、
こうやって自分に深く向き合う機会が与えられたのだなぁと思います。

皆さんそれぞれ、思うところもたくさんあるとは思うます。

ただ、私は、
誰かや何かを批判することよりも、
全ての善も悪も自分の中に内包しているのかもしれない、と、
例え許せない相手にも想像力を働かせられるような世界になれば
今回の感染症も大きな意味を持つものとなるのではないのかと思いました。

とはいえ、まだまだ辛い思いをしておられる人々もたくさんいらっしゃると思います。
理想論かもしれませんが、今回、健康だけが取り柄の私があまりの咳のひどさに、悩み、たどり着いた思いを書かせてもらいました。