こんにちは

 

私の覚醒への道のり・続に続き

 

 

 

こんなの私の身にも起きているわよ~

なんだ~

 

って思われる人もいるかもしれない

そんな話しを書いていますウインク

 

これさっ、

面白いのですが・・

講座をしていても感じます。

 

「何か特別な体験をシェアしてください。」と

受講生たちに投げると

「そんな私の体験は大したことはない」

「話すようなことは起きていない」

 

特に「覚醒」「自分軸に一致して」などの言葉を付けると

 

特別な人

選ばれた人

 

のような受け取り方をされるのでしょうね。

 

その「分離意識」を外していくのも

講座の中での第一歩だと思っていますが、

 

なぜ、そのような意識

「自分は普通」

「特別じゃない」

を持つようになったのかを会話の中から探ってみると

 

大概は

幼少期や学校教育での

他者の評価の中での自分

を価値基準に置いていることが分かります。

 

例えば、

サッカーが大好きな子どもが

「サッカー選手になって海外で活躍したい」と親に言ったとします。

親は

そういったことには知識がなく、自分が幼少期から現在までの中の価値観で

「そんなの無理に決まってんじゃん、お前程度の能力の人はゴロゴロいる」

言いました。

 

その子どもは他の価値基準に触れることが多ければ問題ないのですが

この一種の洗脳のような言葉が全てとなる環境に身をおく時間が長いと

それに

自分の能力を当てはめてしまったり

力を発揮できずに過ごして、自分を低く評価してしまうようなことが起きるのですね

 

社会に出てから、一つの価値基準に当てはまらないと

それが全てとなり

自分に対して低く評価をしてしまうことになっているパターンも

多くありました。

 

その価値基準や誰かの偏見による評価から

抜けていくこと

 

「自分らしい人生」「自分軸に一致して生きる」ことです。

 

そして、それが覚醒への道です。

 

「私の覚醒への道のり」でも書きましたが

変わった母親に育てられました。

 

お陰様で

両親からネガティブ洗脳はなく

「お前の実力じゃ、無理」のようなことは一度も聞かずに大人になりました。

 

自分のアイデンティティーを築くのに

何か指針となるものがほしいと思って

図書館通いを始めます。

家にいると、母親の怒鳴り声や命令を聞かなくてはならないので

面倒くさいと思って、外で遊ぶ時間以外は図書館にいました。

 

6歳くらいだっだと思いますが、

当時住んでいたところの裏側に

図書館が新しくできて、なんて素晴らしいのだろうキラキラ

とワクワクしたのを覚えています爆  笑

 

当時読んでいたのは、物語が中心でしたが

そこでの親子の会話や

生き物とのやり取りで

「思いやり」「お互いを愛する」「かばい合う」

などを知りました。

 

概念として知ることは

器ができるみたいに感じて

その中身はまだ空っぽかもしれないですが、

器ができたのです!!!

 

その楽しさに心が奪われて夢中になっていました。

自分の読みたいなと思えるほとんどの本を読み尽くしたときに

ふらっと、何気なく

大人の本のコーナーへ行ってみたとき

初めて本が光ったのです星

 

おおぉ~、呼んでる

と思いそれを借りようとしたら

図書館の人が

「これあなたにはまだ難しくない⁈」

と言ったのです。

とっさに、

キッパリと

「読めます!」と大きな声で言っていました。笑

無意識に言った言葉ですが、本心ですね。

だって本が光ったのですから・・

 

向田邦子さんの本でした。

小学生の子どもが向田邦子さんの小説を借りるのは

「普通」「常識的に考えて」

 

無いのかもしれませんね。

 

「本が光ったから」

とは言いませんでしたが、笑

何か自分の感覚への信頼を

その日に体感したのですね。

体得したことへの信頼は

揺らぎのないものです。

 

その本はどの本だったかはっきり覚えていないのですが

短編集だったか、分厚い本でしたが

家族の愛や言葉にはしない優しさが

書かれていて、

とてつもなく暖かい毛布のような物語でしたピンクハート

 

自分の感覚や

心地よさ、好きへの信頼の積み重ね

 

瞑想や内観などの時間も

こういう心の声との対話の時間なのですね。

 

大人だから知っている

子どもだから知らない

何歳だから

男だから女だから

 

その分けているものも

その人それぞれのものですね。

 

どれか一つだけの価値基準ではない

統合の世界へ

調和の世界へ

ありがとうございました♡

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