みなさま
こんにちは!
片岡陽子です。
いつも読んでくださってありがとうございます。
『自分らしく生きる』とか
『ありのままに生きる』とか言いますが、
それはなかなか難しいことだと気づきました。
なぜそう感じたのか、
書き留めたいと思います。
昨日、算命学の先生に
『名前』についてメッセージを頂きました。
陽子の『陽』は
おひさまのこと。
算命学では
平等性や伝えることを意味しています。
どんな人も癒せる、包める
陽子さんはそんな人なんですよ!
と。
嬉しいお言葉です。
そんなメッセージを今朝ふと思い出した時に
「私は陽子だ!」
と気づいたんです。
当たり前じゃん!って思いますよね(笑)
話しは少し前に遡るのですが、
最近、私の中に小さな『私』がいたんです。
小学校1年生位かな。
いわゆるインナーチャイルドですね。
最初にその子の存在に気づいた時、
その子は膝を抱えて泣いていました。
声をかけても泣いているので、
そっとそばに寄り添い、
時には抱きしめたりもしていました。
その小さな『私』は、
日常の中での些細な気づきを積み重ねるうちに
(気づきは色々ありましたが、
忘れてしまいました。
書き留めておけばよかった。。。泣)
少しずつ元気になり、
走り回るようになり、
気づけば、中学3年生位に成長していました。
その私の中にいる『私』が
今朝、大人になっていました。
「私は陽子だ!」
と気づいた時に。
そして、大人になった『私』が、
今度は私を抱きしめてくれました。
そして、抱きしめられた私が消えたんです。
↑表現がわかりにくいですね。
(文章力のなさが歯がゆい。。。)
何が言いたいかと言いますと、
今まで生きてきた私は
私という幻想を生きてきたんです。
これが私だ!と思っていた私が
実は本当の私ではなかった。
自分を生きているんだけど、
あんな風になりたいとか
こうあるべきとか
おかれた環境の中で
知らず知らずのうちに
作り上げられた自分像を
生きていたんだなと。
それが悪い訳ではないし、
なりたい自分になるためには
そういう環境に身を置くことも大切。
でも、ショックでしたね。
それなりに
『ありのまま生きている』つもりだったので。
自分を生きるのは
出来ている人には
簡単なことなのかもしれないけれど、
「これが私」と思っている私が
本当の私でなくなっている人にとって
本当の私に気づくことは
結構難しいことだと
感じました。
今日の気づきにお付き合い頂き
ありがとうございます!
