バファリンの半分は優しさで出来ている、というCMがありましたね
(今回、お薬のお話じゃありませんよ、念のため)
さて、わたしは何から出来ているのかしら?
と考えたことはありませんか?
人間って一人で生きているようで、一人ではないんですよね。
もちろん、両親から生まれ、家族に支えられ、友人と語り合い
今の『わたし』がいるのかと。
2か月に1回カットとカラーをしてくれる美容師さんも欠かせません。
毎週レッスン受けてるヨガの先生も
4週に一度まつエクしてくれる、アイリストさんも、私の構成要因かも!?
自分が嫌で仕方ない時ってありませんか?
なんで私はいっつもこう。
私なんて・・
どうせ私は・・
いつもこう・・
みたいな時に、気付くと戻れます!
私、ってわたしだけじゃなかったっけ!
あんな素敵なアイリストさんと美容師さん、ヨガティーチャーからも
構成されてたっけ!と。
マインドフルネスを世界広めたベトナムの禅僧 ティクナットハンはこう説いています。
~~
仏陀の教えてとして、
あなたという生き物はあなた以外の全ての要素から出来ています
わたしたちはすべて自分以外の要素で出来ている
『絶対的な個など存在しない』
私、と他、を区別する二元論的な考えはせず
『あなたは私たちであり』
『あなたが世界である』
そしてその考えがどんな苦悩も取り払うだろう
~~
と
下記動画の後半にそのお話が出てきます。
この世は、現実は、自分が映し出しているという考え方で見ると、
そうなんですよね、わたしと世界とは区別がない。
山も川も海も、全てわたし。
ヨガ哲学でも説いています。
~~
この世はマーヤ(maya・幻)である
~~
わたし、が映し出している幻なのだとしたら、それはそう、私以外も全部わたし
なんですよね。
そしてその私が感じる感情はアートマンとつながる為の道具。
それらをはがしていった先に、本当の自分、アートマンがいる、と。
そう思うと、一つ前の記事の『焦り』に関しても本当は感じる必要はないもの。
二元論からの産物だから。
焦りを感じる目の前の現象も、実は自分が映し出しているだけ。
わたしの一部。
そう思うと、全てが愛おしくはなりませんか?
映画のワンシーンみたいなものだから。
ヨガ哲学では
~~
この世はマーヤであり、リラ(lila・遊び)
~~
とも説いています。