かれこれ6年前。
第一子を生んだ時に産後鬱になりました。
自分だけは鬱とは無縁の人間だと思っていました。
だからこそ認められずに苦しかった。
海外で、
日本語も英語もまともに通じない病院で妊娠期間を過ごし、
自然分娩の計画だったのに突然帝王切開と告げられ、
しかもそれが40歳の高齢だからという理不尽な理由。
高齢なのは妊娠期間中に分かってるんだから、出産時にそれ言われるのは納得がいかないじゃないですか。
(40歳で高齢と言われたのも受け入れられなかった)
それもこれもミスコミュニケーションの積み重ねの結果だと思うんです。
なんせ言葉が通じないわけですから。
バンコクには、日本人の駐在さん達が通う有名な病院もあって、そっちにいけば日本語も自由自在で、何不自由ないサービスを受けられるのが分かっていたのですが、
けど、それでも、言葉の壁があっても、旦那さんの一族が代々産まれてる病院で産むと決めました。
海外で生きていくと決めていたから、
何があっても平気!!
って、覚悟はできているつもりでしたが、
ホルモンには勝てませんでした
産後に、突然やってきた産後鬱。
世界が足元から崩れるような不安と闘う毎日でした。
ヨガやってるし、
自分だけは大丈夫だと慢心してました。
けれど、毎日わけもなく泣いてるんです。
ポジなのかネガなのかよく分からない感情で涙腺崩壊の日々は1ヶ月以上続きました。
自分のメンタルの弱さ!!!
旦那さんの家族はみんな優しいんです。
こんなによくしてもらってるのに、ワガママ言ったらバチがあたる!!
って必死に我慢して、トイレで泣いてました。
ちなみに、日本で里帰り出産するって選択肢は私にはありませんでした。
そりゃ私だって、親元でぬくぬくと子供産みたかったよ。
けれど、
日本の病院は妊娠期間中からパックになっていて、出産だけ面倒見るってのは歓迎されず。
またタイの病院と違って普通個室じゃないから、旦那さんが泊まれないので、ウチの旦那さんはタイで待つのか、私の実家に泊まるのか。
出産からずっと寄り添って付き添ってくれようとしてる旦那さんのこと考えたら、自ずと出産はタイになりました。
自分平気だと思ってたんです。
こんなに孤独を感じると思ってなかったんです。
あと友達にも誰にも弱音が吐けなかったんです。
けど、もーーーどーにもこーにも辛くて辛くて
産後一ヶ月くらい経った時、
昔のヤンチャしてる時の友達にメールしたんです。
小杉さんって言うんだけど、
私は濃すぎさんと読んでいます。
キャラが濃いのよ。
濃すぎさん、子供が出来て、加えて旦那の主張で連絡が途絶えていたんだけれど、
濃すぎさんも産後鬱が大変だったと他の友達から聞いていたので、奪回の秘訣があったらと思って連絡しました。
そしたら、
もう何年も会ってなかったのに
ソッコー連絡くれたんです。
そして濃すぎさんは力強く言いました。
「普通!!!」
「大丈夫!!みんな同じ!!!ただのホルモン!!」って
「今だけ!!すぐ治る!!!」って。
何故かすっごい説得力でした✨
そのシンプルさに拍子抜けして、
笑えました。
その出来事を皮切りに、
あんなに辛かった産後鬱が治ったんです
本当にビックリしました。
言葉の威力凄まじい✨
そして友達パワーすげぇ✨
あんなに何があってもダメだったのに
友達からの強い共感によって瞬時に
世界が色を取り戻したのです。
だから私もお母さんの味方!!!
私も濃すぎさんになろうって思いました。
いや、濃すぎさんほど濃くなくていいんだけどねw
(濃すぎさんは「誰のおかげで大きくなったと思ってるんだ?」ってみかじめ料を搾取しようとする
)
けど、友達ってホンット大事。
いい仲間に巡り逢えて有り難いし幸せだなって心から思います。
とにかくね、
もし産後に一人で苦しんでる人がいたら
応援したい✨
だいじょーぶ!!
一生続かないから!!
イギリスなんて出産直後に病院でシャンパン出たりするらしいよ!
てな感じでゆるくいきましょ!!
みんな、あなたの味方です
最後まで読んで下さってありがとうございました🌈
愛と光をこめて
長谷川陽子