日ごろ、ローカライゼーションの大切さを提唱している私ですが、
(ローカリゼーションとも言います。(英語: localization)
「ローカライゼーション?ナニソレ。聞いたことねぇ!」って方のために
超簡単な説明をすると、
例えば、日本の自給自足率は28%くらいなのに対し、
タイの自給自足率は160%。
自国の国民飢えさせることなく、よその国にも分けてあげられちゃう。
日本は戦争とか起きて「降参しないと食糧やらんぞ!」って、経済封鎖とかされたら
1週間くらいで「私が悪うございました。ギブミーチョコレート!!」ってなるわけです。
けれど、自給自足率最強伝説を誇るタイだって、今でこそ山岳部は野菜や果物の産地として豊富な自然の恩恵を受けているわけですが、それらの野菜は外来種ですから、外の国の協力があっての今のタイともいえるわけです。
さて、ローカライゼーションに対してグローバライゼーションというものがあります。
(グローバリゼーションとも言います。英語:globalization)
グローバライゼーションって、「世界が連携とって資本や情報のやり取りをしましょう」って考えです。
国や地域を越えて経済を自由化させましょうっていう考えで、これにより人や物の交流が幅広くなるので、経済はさらに発展を遂げました。
ですがそれにより独自の文化が壊れるという側面もあるのです。
例えば、世界遺産的な遺跡の前に大手チェーンのファーストフードやコーヒー屋が出来て美しい景色を壊してしまうなんていうニュースを観たことがありますか?
グローバライゼーションは、全世界で同一のモノを展開しようって考えではないはずなのですが、時としてその国が大切にしていた文化け景観を蹂躙してしまうこともあるのです。
本来はグローバライゼーションとローカライゼーションは一緒に行うもの。
世界各国みんな文化が異なることを認識して、その土地の文化を尊重して行うことが大切です。
それでも、テレビを観て外の世界に憧れたマサイ族が飛ぶのをやめて槍を捨て、服を着て街に移住してしまうなんてことは現実に起こっています。
首長族も子供の首に輪をつけるのをやめはじめました。
世界がつながると、これらのことはどうしても起こりうることです。
マクドナルドのことを知らないマサイ族は幸せだったけれど、マクドナルドを知ってしまい、なおかつ「あなたはマサイ族だからマクドナルドは食べずに牛の血を飲みなさい」って言われたマサイ族は不幸を感じてしまいます。
首長族の女の子だってハリウッドスターに憧れるけれど、自分の首が外の世界の人より長いことを複雑に思うかもしれません。
比較対象があることによって、より良くなれる反面、自分が人より持っていないと、自分が劣っているような惨めな気持ちにさせてしまうという側面があるのがグローバライゼーションです。
けれど、イスラム圏の男尊女卑から女性を救うのは外側の世界の人たちからの助けです。
(処女割礼や、理不尽な男性の暴力で死にも至らしめられている女性がいても同文化内では立ち上がる人はいない)
またそれとは別に、タイの経済成長の発展はローカライゼーションを熟知したうえで、グローバライゼーションを成功させた例でもあります。
お互いがお互いに寄りかかっちゃってると、有事に共倒れしちゃうから、自主性の確立。
そして自己の強みや良さを重要視しながら、お互いの良いところを学びつつ、共に成長していく姿勢が求められるのではないかと思います。
日本も戦後から今までアメリカの属国と言われていますが、そろそろ自国のことを自分たちで考えていける国として新たな発展と成長の時期に来ていると思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光を込めて。
長谷川陽子