横濱亭のある南区六ッ川の、名前の由来について調べてみました。
いくつかの説がありましたが、有力な二つの説をご紹介いたします。
説①
明治以前には、武蔵国久良岐郡引越村で、
明治22年に他の五ヶ村(弘明寺村,中里村,別所村,最戸村,久保村)と合併して
大岡川村大字引越となり
昭和2年に六ヶ村の六に大岡川の川をつけて横浜市中区六ッ川町となる。
説②
引越村周辺の水田を支えていた大池・小池から流れてできた川の名前が六ッ川と言ったから。
六つの谷戸(鮫ヶ谷,久保谷,マンヶ谷,九田谷,荒戸谷,御堂谷)から流れる水との説もあり。
他の五ヶ村から引っ越してきた人が集まった村が引越村だそうです。
【 大池と小池について 】
小池があったであろう場所は、判明いたしました。
はまれぽ.comさんより転写させて頂きました。
小池は昭和41年に緑地等の環境保全を図るためうめたてられ
六ッ川公園が新設されたそうです。
小池があった場所(2020年10月10日撮影)
大池は大正9年の豪雨により堤防が決壊して、大半が土砂で埋まってまった
そうです。
上記の地図で、小池から上流の池が連なっている場所が、まさに横濱亭の社屋がある場所です。
もしかしたら、ここが大池だったかもしれません。
或いは、いくつかの連なった池の総称が大池と呼ばれていたのかもしれません。
もしくは、今は、南永田団地になっているどこかに大きい池があり、今の横濱亭社屋がある場所に
水を引いてたのかもしれません。
いずれにしても、長い歴史のある場所で、商売をさせて頂いている事が分かりました。
これからも横濱亭を宜しくお願い致します。