"劇作家は稽古場に行ってはいけない"
というどこかの戯曲セミナーで聞いた言葉が私の頭の奥で眠っていますが、作家という生き物の人間性を的確に表現したすごく的を得た言葉だと思います。
ということで、週の終わりの金曜日
更新は劇団天の河神社の座付き作家、中島千尋が担当させていただきます。
さて。
なぜそれが的を得た言葉なのか、
劇作をする人間なら誰だって心当たりがあるのではないでしょうか。
作家という生き物は、一癖も二癖もある非常に厄介な生き物であり、人間性と作家性を天秤にかけた時に躊躇なく後者を選択する奴らなのですから。
私の大好きな本の解説に、作家のことを
"敵対者には容赦がない上に誰一人味方とは考えず、命を大切にすることなく平気で魂と寿命を削り、究極のところ我が手で作り上げた創作物以外の何もかもは一緒くたに価値がないと思っていて、人間性と作家性を天秤にかけた時に躊躇なく後者を選択する、一言で言うなら嫌われ者だ"
と言っている方がいたのですが(西尾維新さん)
まさにその通り。同意以外のなんの感情も湧かず、まあつまり最初の
"劇作家は稽古場に行ってはいけない"
というのは、
俺たち作家が稽古場に顔出すと解釈違いやらなんやらで演出家に口を出さずにいられるわけがなく、演出家とちょっと気まずい感じになるからお前ら行くな。
ということなのです。
まあ、大体は作・演の両方を担っているのが基本形態となりましたから、演出家と気まずくなる感じはないと思いますけど、
ね?
理解できるでしょ?
それでも私は、作家冥利に尽きるといいますか、
稽古場に行くのにはあるひとつの理由があります。特にいちばん最初の稽古がたまらなく好きで、稽古場はある種の神聖な場所と考えています。
これ"も"わかる人にはたまらないんじゃないかなと。
自分が書いた活字でしかなかった世界が
役者の元に渡り命を吹きこまれ、
目の前で、生命を宿した"世界"として再構築されていくのを体感するのが、こう…………何度味わってもたまらんのです。
言葉が踊るっていうのかなあ。
役者さんって本当にすごい。
とにかく、最初の稽古場ほど胸が高まる場所を私は知りません。私にとって稽古場とはそういう場所です。
(ちなみに、天の河は作・演は別れているので当然の如く「そこはそうじゃない!」と意見がぶつかる)
ですが、そんな稽古場もまだ私たちはオンライン上です。
稽古場のある種の中毒的な魅力がある限り、
私は、言葉を紡ぎつづけるのだと思います。
はやくみんなに会えるといいなあ。
おわりー!