3月10日(日)静岡県三島市の瀧川神社に行ってきました
ついに 瀬織津姫 さまの生誕地と言われる場所です。(静岡県三島市川原ケ谷755-1)
仕事がらパソコンとにらめっこですので、遠くを見たり自然を感じたり、五感を働かせるために行動しています。
今は居住区横浜から三島まで直通の高速バスもあるようですが、ぶらり途中下車の旅みたいに電車とバスで行ってきました。
東海道線で各駅停車でゆられながらのんびり・・・
電車では座る位置によって、山側を見るか 海側を見るか で、海側 を見る位置に座りました。
大磯あたりから熱海などで時折、海(太平洋)が見れて、なんだが気分上昇 アゲアゲです
まっ元々、田舎が秋田の日本海側のため、山より海側・水があるほうが感覚的に好きかもです。
そして、三島駅 に初めて下車しました
バス乗り場は何番だろうと探し、20分後の発車で出発しました。(三島駅~富士見台行 かも公園下車 10分位)
かも公園というバス停で下車しましたが、全く方向わからず通りすがりの中学生に聞きました。
向かう途中 富士山 を見る事もできたり、高台から下るような道順で遠くから現地を見つけました。
徒歩10分くらいでしょうか・・・無事に到着しました
管理を任されている氏子のおじいちゃんもいらっしゃいましたが、御朱印などはありません。
そして滝の音を聴きながら暫し、座って瞑想もしました・・・
また、空海さんがお湯が出る所に目印を付けたと言われている、デッカイ「文字石」がありました。
濡らすと文字が浮かぶようですが、全くわかりませんでした
大同2年(西暦807年)に来た可能性とのこと・・・ 約1200年前ですね。
さて、ここから考察です
瀬織津姫と弘法大師・空海 さんにつながるまで・・・(読書をした上でのものです)
そもそも縄文初期の人々は宇宙人(ドラコニアン)と対話するにあたり、テレパシー(超感覚)で話をしていたが、個性のエネルギーを認識できなかった。
宇宙人は個性のエネルギーで認識しあっているから名前は必要ない。
そのため個性のエネルギーを認識する補助として、せおりつ と言うエネルギー体、にぎはやひ と言うエネルギー体として名前をつけた。
縄文の後期から大陸から弥生系の人達が入ってきて、段々テレパシー(超感覚)を使える縄文人が少なくかった。
日本を支配しようとする人間の姿をしたレプティリアン(西洋担当)の部下、半身蛇ナーガ族(アジア・日本担当)らが
縄文の後期にはその名前を使い なりすました (名前は良いイメージで受け継がれていたのだ)
もっと尊敬されやすいように○○姫や覚えにくい名前にしたり、もう宇宙人(ドラコニアン)からナーガ達に入れ替わってしまったそうだ・・・
縄文時代
平安時代から鎌倉時代でしょうか
伊勢神宮から空海、瀬織津姫のお話 木内先生の本より一部参照
伊勢神宮の始まりは奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社
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その御魂を最初に移した場所が、同じ桜井市にある檜原(ひばら)神社(一番最初の元伊勢と呼ばれる神社)だが、そのやり取りがとても変わっていた。
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崇高天皇の皇女(豊鍬入姫:とよすきいりひめ)が霊媒となり、祟り神である 大物主(大国主命の分御魂)を姫の中に封印する形でおろしたと言われている
よって(豊鍬入姫:とよすきいりひめ)が 初代「倭迹迹日百襲姫命」やまとととびももそひめのみこと として斎主となり、お祀りしたとことから神宮(元伊勢)が始まった。(ここから神宮の変遷が始まる)
代々「倭迹迹日百襲姫命」という名前は継がれ、大物主 を体内に入れた巫女(皇女)が戦場に散った多くの御魂を鎮めるために
日本各地の戦場跡に居を構えたのが元伊勢と呼ばれる場所だそうで、最後に行き着いたのが伊勢神宮とのこと。
その時に最初の伊勢神宮のある場所とは違っていたらしい・・・
・・・省略・・・
伊勢神宮を現在の場所に移したのは 空海さん と言われている。
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その結果、現在の場所に落ち着いた。
その依り代であり斎王であった「倭迹迹日百襲姫命」は役目を終え、今度は御祭神のお世話をする奥様役の斎王となった。
その最初の斎王(皇女)のお名前が人間としての 瀬織津姫 だったのだ・・・
ただ、その瀬織津姫と最初の斎王と呼ばれた瀬織津姫は扱いが別で、あくまでも天皇から遣わされた人だよと。
この辺りが流れだそうです。
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瀧川神社に、空海さんからのデッカイ石が置かれたのは、このようなご縁があったからでしょうかね・・・
いずれにしても、 瀬織津姫 と言う神様は思いっきり古い神様ですね
しかしながら、縄文時代にテレパシーで対話していた せおりつ と言うエネルギー体とは全く違う認識ですね
ひとまず 以上です